生々山人『奇説雑談』巻之二「木偶恋慕に感じて処女と同穴を契事」より

人形塚

 丹波の国の山里に、乙部という農家があった。地元の庄屋をつとめ、田畑を多く持つ資産家として裕福に暮らすうちに、一人の女児を得た。
 女児は幼くして母を亡くしたが、乳母に養育されて、はや十三歳の娘になった。田舎には希な美しい容貌で、金持ちの家の一人っ子だから何でも思い通りにさせて、まさに掌中の珠とばかりに大切に育てられた。

 あるとき同国の福知山城下へ、田舎廻りの人形浄瑠璃の一座がやってきた。
 京で流行りの新作を演ずるというので、都から遠いこの土地で大評判となり、見物人が山のごとく押し寄せた。
 乙部の娘も乳母に連れられて、初めて芝居を見物した。
 生まれてこのかた山里に育ち、田舎人の暮らしばかりを見てきた少女の目は、人形のあでやかな振る舞いにいたずらに惑わされた。松の風音や小鹿の声を聞き慣れた耳は、あるときは勇ましく華やかに、あるときは悲しみ嘆き、あるときは優しく恋情を語る声と調べに魅了された。とりわけ、小野頼風と女郎花(おみなえし)という女の契りをたいそう情を込めて演じた場面に、しみじみと感じ入った。
 それ以来、『世の中には、あんな素敵なことがあるのね』と、知らず知らずに見ぬ恋人を想うようになった。心も上の空で思いは乱れ、なんとなく病気になって床に打ち臥した。

 まったく「鄭声の雅楽を乱す」と聖人が言ったとおり、今時の浄瑠璃や歌舞伎といった卑しい劇は、見る者の心を惑わすことを目的とした作物の中でも、やたらに恋慕の道に誘って淫情をそそのかす媒介となるから、娘を持つ人々は注意しなければならない。
 ともあれ、乙部の娘は日ましに病み衰えていったので、父親は大いに悲しみ、医者にすがり神に祈って、ひたすらに心をくだいた。
 娘も今やわが心の悩みに堪えかね、乳母を呼んであれこれ愁訴する中で、
「なんとかお父さんに頼んで、このあいだ見た頼風の人形を手に入れてもらってよ」
と涙ながらに訴えた。乳母は、忌まわしいこととは思いながら、そのままを乙部に語った。
 父親は、我が子への愛に見境をなくしていたので、かの浄瑠璃一座の行方をたずね、代価は望むままに与えて、強引に人形を買い取った。
 娘は限りなく喜んで病も忘れ、ひたすら人形を可愛がった。日中はどこへ行くのにも抱きかかえて伴い、食事も共にして、衣を着せ髪を結いなどして楽しんだ。夜は一つ布団に寝て、物言わず笑いもしない人形相手に、一晩じゅう語りかけた。それはまるで物に狂ったかのような異様な有様だった。

 月日が過ぎ、娘が十六の春を迎えると、父親は、『名のある某家の子を婿にとり、家を継がせよう』と考え、娘にもそのことを言い聞かせた。
 娘のほうも、いかに人形をいとおしむとはいえ、いっこうに笑いもせず応えもしないのが物足りなかったか、ついに婚姻のことを承知した。
 やがて吉日を選んで、その日になると、親類衆が一堂に会した。
 娘が婚礼の盃をとり上げて、婿に差そうとしたときだった。
 かの頼風の人形が、どこからか走り来て、娘の持つ盃をはったと叩き落とし、そのまま娘の膝に抱きついて倒れた。
 人々が驚いたのは言うまでもない。皆、こけつまろびつして逃げ惑った。
 娘はそのまま気絶したが、父親が人形を引き退け、娘に呼びかけてさまざまに介抱したところ、なんとか息を吹き返した。しかし、高熱を発して意識朦朧の容態だから、家内の者は色を失った。
 父親は人々に向かって、
「いやはや、思いもかけない怪事で、きっと狐狸のしわざに違いありません。とにかくこいつを打ち砕いて捨てましょう」
と、人形を庭へ持ち出した。人々は鋤や鍬を振るって、これを粉微塵に壊した。
 壊しただけでは心もとないので、後の祟りがないようにと、程近い草庵に近ごろ都から移り住んだ修験者を招いて、すべてのいきさつを話すと、修験者は言った。
「それは大変なことだ。たわいない狐狸の妖術などではないぞ。むかし外国で、暑さに苦しむ女が鉄の柱に抱きついて、その冷たさを快がった結果、気を感じて鉄丸を産んだ例もある。この場合、人の形を備えたものに長いこと深く執着したから、その念に感じて、人形が恐るべき怪を為すにいたったのだ。微塵にしただけでは、まだ不十分。我が力の及ぶ限り、害を除く手だてをしよう」
 そして、人形の破片をすべて取り集め、新しい壺に収めて固く封をしてから、人々を伴って近くの山の崖下に深く埋め、心を込めて読経した。
 その効験があったか、娘の気分も少しはっきりしたようで、みな大いに喜び、あらためて修験者に頼んで御祓いをした。また良い医者を選んで薬を用いた治療も施した。

 ところがある夜、看病の者たちも連日の疲れでついしばしまどろんだすきに、娘は寝床を出て、いずこへか出奔した。
 大騒ぎになって、心当たりをしらみつぶしに捜し求めたが、まったく姿が見当たらない。人を集めて、手分けして遠近を問わず捜索するうち、かの人形を埋めた場所の囲いの内に人影が見えた。
 近くへ寄って見れば、乙部の娘にまぎれもなく、片手を土中に引き込まれながら、息絶えていた。
 人々は驚きのあまり言葉も出なかった。父親が狂気のごとく叫び悲しむさまは、何にたとえようもないほどだった。しかし、もはや取り返しはつかない。かの修験者にありのままに話して、その後は供養に専心した。
 「一念五百生、係念無量劫」という。心を持たない人形も永劫の執念に妨げられて、「悉皆成仏」すなわち万物すべて仏となるはずの道を誤ったのだ。せめて罪障消滅のためにと、同じ土中に娘の亡骸を埋葬し、五輪の石塔を建て、ねんごろに読経などを営んだという。
 今も周辺の人は、それを「人形塚」と呼んで、奇談を語り伝えている。
あやしい古典文学 No.1001