浅井了意『新語園』巻之二「陳女夏姫 左伝」より

夏姫

 夏姫は中国の春秋時代の人で、陳国の高官であった夏徴舒(かちょうじょ)の母である。世に並ぶもののない美女で、見る人すべてが心を悩まし、思いを寄せずにはおれなかった。
 彼女は、年老いて後また若返る秘術を心得ていた。それによって、一生の間に三たび王の后となり、七たび諸侯の夫人となり、九たび寡婦となった。

 夏姫の子の徴舒は、陳の君主霊公に仕えて大夫の官に進み、国政にたずさわった。
 霊公と、大臣の公孫寧ならびに儀行父は、みな夏姫と姦通して心を乱され、三人そろって夏姫の下着を身につけ、ふざけまわった。
 泄冶(せつや)という賢臣がその醜態を見て、公孫寧と儀行父に意見した。
「あなたたちは、君主が道に外れた行いをしたときに戒める立場でしょう。いっしょになって宮廷で踊り狂うとは何事ですか。国民はきっと、あなたたちが故意に君主を惑わし、国家を乱していると言いますよ」
 二人の大臣はかえって遺恨を抱き、泄冶が批判していると霊公に告げた。霊公は、
「この乱行のことを国民に知られても、ぜんぜん平気だ。しかし、あの行いすました泄冶に知られるのは、わしにとって天下の恥だ」
と言って、泄冶を殺害させた。

 霊公はいよいよ夏姫に心がとろけて、公孫寧・儀行父とともに酒宴にふけった。
 あるとき、夏徴舒も呼んで酒を飲ませ、霊公が戯れて言うには、
「徴舒は、おまえらに似ているぞ」
 すると二人は、
「いや、我らには似ておりません。威厳のあるところが霊公にそっくりです」
と言った。
 徴舒はこれを、ただのたちの悪い冗談とは受け取らなかった。『我が身に災いがふりかかる前兆ではないか。機先を制して難を避けるしかない』と思い、霊公を射殺した。
 公孫寧と儀行父は、隣国の楚へ亡命した。霊公の太子の午も、恐れて晋国へ逃れた。

 翌年、楚の荘王は軍を率いて陳に攻め入り、夏徴舒を捕らえて処刑した。また、太子の午を呼び戻して、陳を統冶させることとした。
 荘王はこのとき夏姫を見て、美しさに心惹かれ、自分の后にしようとしたが、大夫の巫臣(ふしん)に諌められた。
「いけません。王は今、罪人の徴舒を討って、太子の帰還を果たしました。それなのに、ここで夏姫を後宮に入れるようなことをすれば、王は色欲を貪る者というそしりを受けて、せっかくの楚国の大功が無に帰してしまいます」
 荘王は巫臣の言を受け入れて、夏姫を諦めた。
 荘王の将軍の子反(しはん)も、夏姫の美貌に惚れこんで、我がものにしようとした。巫臣は子反をも諌めた。
「夏姫は不吉な女です。あの者は陳の宮中にあって、夫の夏御淑を早世させ、子の徴舒に霊公を殺させ、重臣の公孫寧と儀行父を逃亡せしめ、徴舒もまた殺され、陳国を滅ぼしました。天下に美女は大勢います。よりによって、あんな女を選ばなくてもよいではありませんか」
 子反は、『なるほどそうだ』と思いとどまった。

 結局、荘王は夏姫を、襄老という武官の妻とした。しかし襄老は間もなく死んで、その子の黒要(こくよう)が夏姫と密通した。
 続いて、ここまで満を持していた巫臣が、夏姫を連れて晋国へと去った。
 将軍子反は激怒し、巫臣の一族を皆殺しにした。

 これだけの争乱が、すべて夏姫の容色が原因で起こったのである。
あやしい古典文学 No.1006