平尾魯遷『谷の響』一之巻「蛇塚、木筒淵の霊、虻」より

伊勢屋善蔵の冒険

     (一)

 岩木山の裾野の枯木平村の先に、清水淵という淵があって、そこからさらに行ったところに、蛇塚と呼ばれるところがある。
 弘前城下御蔵町の伊勢屋善蔵という者は、鯵ヶ沢の北の音平の浜で砂鉄を採り、清水淵の傍らに小屋を建てて精錬した。
 文政三年のある日、善蔵が雇った人夫の一人が蛇塚の地へ行ってあたりを見回したところ、一株の大木の根元に直径十五センチほどの穴があって、その穴から白蛇が二匹首を出していた。『これが蛇塚か』と思って、枝切れを穴に突っ込んで掻き回すと、大小の蛇が続々と出てきた。
 恐いもの知らずの人夫は、『こりゃあ面白い』と、穴をつついて広げてやった。蛇はいよいよ出てきて、大木の幹に上り枝を這い、またたくまに地上二十メートル四方に充満して、その数幾千万とも知れない。
 その蛇が人夫の脚にも続々と這い上ったので、さすがに辟易して逃げ帰り、善蔵たちにかくかくしかじかと語った。
 小屋の者たちは色めき立ち、皆で行って見ると、かの人夫が言ったとおり、凄まじい数の蛇が、あるものはとぐろを巻いて頭をもたげ、あるものは背を張ってのたくりまわり、あたり一面ひしめき蠢くさまは、目を見張る情景であった。
 蛇の数こそ多かったが、人を威嚇したり咬みついたりすることはなかった。大きくても一メートルに満たない普通の蛇ばかりであった。
 奇観を見届けてその日は帰り、翌日また行ってみると、あれほどたくさんいた蛇が、こぞってどこかへ行ったのか、または元の穴にこもったのか、ただの一匹もいなかった。
 これは、伊勢屋善蔵が直接話したことである。

     (二)

 この清水淵の川上に木筒淵という、測り知れないほど深い淵がある。
 善蔵はもともと水泳の名手だから、この淵に潜ってみたら、四メートルほどの深さに、一抱えに余る埋木が横たわっていた。その木に乗ってさらなる淵底のほうを覗いたが、ただ青々と水が漲って、何も見えなかった。
 しかし、この淵には鱒が夥しく棲んでいるのが分かった。善蔵は、枯木平村の太七という使用人に、網を打つよう命じた。
「旦那さま、よしましょう。木筒淵に網を下ろすと、たちまち暴風雨が起こって、恐ろしいことになりますから」
 気が進まないらしい太七を、
「万一そうなったら、すぐ逃げればよい。こんなにいる鱒を見過ごすことなどできるものか」
と叱って、無理に網を打たせたが、不思議なことに一匹の鱒もかからなかった。
 この様子を見ていた松代村の男が、
「よし、嵐になる前に俺が…」
と淵に飛び込んで、まもなく鱒二匹を掴んで浮かび出た。
 そのとき、晴れわたっていた空がにわかにかき曇った。雷鳴が山中に轟きわたり、大雨が篠つくごとく降りつけた。
「やあ、お叱りがきたぞ」
 そう言いあって、皆すたこらさっさと逃げ帰ったのだった。

     (三)

 この木筒淵の少し上流には、虻が大量に棲息するところがあって、人を見かけると数万匹の群れが襲いかかるそうだ。
 善蔵が岩魚を釣ろうとして、清水淵から渓流を遡り、釣り場を見定めて竿を下ろしていると、にわかに風の吹く音がして、幾万もの虻が飛び来り、全身にびっしりと群がり取りついた。
 『これが話に聞く虻の大群か』。あわてて釣具をしまおうとしたときはもう遅く、全身いたるところを刺してくるから、右に払い左に追っても、とうてい防げるものではない。たちまち五体が血まみれになった。
 たまらず釣具を投げ捨てて逃げたが、なお前後左右から襲ってくる。笠の内にも懐の中にも満ち満ちて、その数は限りない。
 あまりの苦しさに、ひとえの着物を着たまま川に飛び込んだ。すると首から下についたのは離れたけれども、頭上を飛ぶ数はいちだんと凄まじく、笠の内に入ったのはみな首から顔一面に群がったから、急いで笠をかなぐり捨てて、水中に潜った。
 こうして、やっとのことで虻を撃退し、辛うじて清水淵の小屋まで帰ることができたのである。
「山奥の渓谷には虻の棲みかが随所にあるが、ここまで夥しい所はほかに聞いたことがない」と、善蔵は語った。
あやしい古典文学 No.1007