中島広足『かしのしづ枝』下「清人の幽霊」より

清国人の幽霊

 清国の人は、死んで幽霊になって出るのを尊いことだと考えていて、死んでそれっきりの人を「幽霊にもなれないやつ」とひどく軽蔑する。
 長崎の清人居留地には「幽霊堂」という建物があって、そこで幽霊祭が催され、幽霊餅というものを手向けたりする。
 その幽霊は、わが国の人の目にはまったく見えない。傍にいて親しく起居した遊女などでも見ることはないが、清国の人には確かに面影が見えて、歩く沓音も聞こえるのだそうだ。

 ある年、長崎から清国へ帰る船が航海のとちゅう暴風雨にあって転覆したという噂が、誰言うとなく広まり、やがて乗り組みの人々の幽霊も出たので、慰霊の祭などが執り行われた。
 ところが翌年、その船も乗組員も何の変わりなく荷を積んで入港した。幽霊祭はまるで無駄になって、無事を喜ぶとともに大笑いの種となった。
 この話から、清人のいう幽霊が道理に合わないことも、幽霊を信じる心の幼稚さもよく分かるであろう。
 そしてまた、人の思い込みが原因で幽霊が見えてしまうのは、清人の場合にかぎらない。愚人が恐れるのにつけこんで狐などが欺き化かす例は、わが国にも多いはずである。
あやしい古典文学 No.1008