浅井了意『伽婢子』巻十一「魂蛻吟」より

さまよう魂

 河内の弓削というところに、鍛冶を生業とする友勝という者がいた。
 ある日、友勝は所用があって大和の郡山へ赴き、日暮れ方に帰り道を行ったが、あまりにくたびれていたので、山の傍らで一休みした。
 そこへひとりの人が馬に乗って、鞍をつけたもう一頭の空馬を曳いて通りかかった。
 友勝は声をかけて頼んだ。
「河内のほうへ行かれるのかね。それなら馬を一頭貸してくだされ。ことのほか道中で疲れております。どうせ乗る人のない馬なら、わしを乗せてくださらんか」
 馬の持ち主が、
「たやすいことだ。大和川の向こう岸で下りてくれるなら、それまで乗って行くがよい」
と承知したので、友勝は大いに喜んで馬に打ち乗った。
 川を乗り渡したところで馬を下り、礼を言って馬を返すと、相手は馬に鞭をくれてどこへともなく去った。

 日はすでに暮れ落ちて、友勝が家に帰ってみると、妻と子供たちに加え兄弟一族がことごとく集まり、ご馳走を並べて宴会の最中だった。
 友勝が帰ったというのに、誰一人見向きもしない。我が子の名を呼び、兄弟姉妹の名を呼んでも、耳に入らないようで、酒を飲んではおしゃべりに夢中で、笑いどよめくばかりだ。
 たいそう腹を立て、大声をあげて騒いだが、それでも気づく者がいない。腹立ちのあまり拳固で妻子を殴りつけても、まるでこたえないようだ。
「友勝がおれば、もっと賑やかで面白かろうに」
などと言いながら相変わらず酒を飲んでいるのを見て思うことには、『さては、わしはどこかで頓死して、魂ばかりが帰ったのではないか。だから、妻も子も一族の者も、わしが見えないのだ』。
 友勝は涙を流して泣きに泣いたが、それとて誰も気づいてくれないので、しかたなく家を出た。

 村外れまで行って茫然と突っ立っていると、いかにも気高い人が、黒馬に乗って、冠をかぶり、紫の直衣に大紋の指貫を着し、家来を大勢召し連れて現れた。
 貴人は、鞭で友勝を指して言った。
「あれは、いまだ死ぬべきでない者の魂だ。何かの間違いでさまよい歩いていることよ」
 そこへ、赤い装束に烏帽子をかぶった人が来て、馬の前にひざまずいた。
「おおせのとおり、弓削友勝はいまだ寿命の尽きない者でありますのに、たまたま現れ出た大和川の水神に馬を借りまして、そのとき水神が戯れに魂を引き出したのです。今すぐ元の身体に戻してやろうと、私が参りましてございます」
 貴人は少し笑って、
「わけもなく人の命を弄んだ水神は、許しがたい者だ。明日、きっと刑罰を行うべし」
と申し渡した。
 赤い装束の人は恐縮して貴人の前から下がり、友勝のほうへ歩み寄って囁いた。
「馬上の御方は聖徳太子だ。いつもあのように陵墓から出て国じゅうを廻り、悪神を鎮め、悪鬼を戒め、人民を護っておられる。我は水神の親族で、不始末の尻拭いにやって来たのだ。おまえを元の人間に生き返らせるから、しばらく目を塞いでいろ」
 その人が後ろに回って背中を押したような気がしたとき、友勝は大和川の西の岸で、夢からさめたかのごとく蘇っていた。

 起き上がって家に帰ると、妻子は待ちかねていて大いに喜び、
「今日は一門が集まっての宴会でしたのに、どうしてお帰りがこんな夜更けになったのですか」
と尋ねた。
 友勝が、じつはかくかくしかじかと物語ると、みな驚き怪しむことしきりだった。
あやしい古典文学 No.1015