大田南畝『一話一言』巻四十五「奇疾」より

女陰坊主

 上野国沼田郡座麻村の広福寺は、同郡沼田村の曹洞宗玉泉寺の末寺である。
 広福寺の住職だった勇亮は凶暴な悪人で、かつて師の和尚を二度までも殺害せんと企てたほどだった。

 広福寺の門前には、貧乏な寡婦が一人で住んでいた。いつのころからか勇亮はその女に密通して、たびたび通うようになった。
 ところが女はなかなかの淫婦で、勇亮のほかに、近隣の遊び人の男が三人も通っていた。それを知って怒りにたえず、勇亮はある夜、斧を提げて行った。女の頭をかち割って殺すと、死体は利根川の深みに沈めた。
 身寄りのない女だったから、凶行に気づく者はなく、『淫婦は男にくっついて出奔したにちがいない』と、近隣の人々は思った。
 その後、勇亮の背中に奇怪な腫瘍ができた。しだいに女陰の形をとり、陰毛まで生えて、本物の女陰のようになった。
 これにはさすがの悪僧も、おのれの悪行を後悔し、受けた報いに恐れ入ったが、人に話したり医者に見せたりできるものではない。治療することなく月日が過ぎて、もはや膿血も出ず、疼痛も痒みも臭気もなく、生まれつきそこに女陰があるみたいになった。
 勇亮は、罪障滅除のために西国三十三ヶ所の観音を巡拝しようと思い立ち、寺を他の僧にゆずって広福寺を出た。

 勇亮が旅の途次、若狭小浜の空印寺に立ち寄ったのは、文政二年の七月十四日である。
 空印寺の長老の用を勤める恵亮という僧は、勇亮の兄弟弟子なので、久々の対面を喜び、寺務所へ届けて寮に泊めた。
 勇亮のほうも、かつて修行を共にした相手だけに心打ち解けて、傍に人がいないとき自分の犯した罪を告白し、肌脱ぎになって背中を見せた。
 一目見て恵亮は胆をつぶしたが、ほかに言いようもないので、
「罪滅ぼしのためには、懺悔することが何より大切。ありのままに皆々の僧に語られよ」
と勧めた。しかし勇亮は肯わず、かえって、
「このことを人に洩らしたら、ただではおかないぞ」
とすごみさえした。
 恵亮は『ああ、よけいなことを言った』と悔いたが、やはり気の毒な兄弟弟子の罪を少しでも軽くしてやりたくて、長老の道海和尚に仔細を告げた。
 和尚は、あまりに奇怪な話ゆえ俄かには信じられず、一度見て確かめることを望んだ。恵亮も、罪障消滅のために見せたいと思うけれども、勇亮に再度勧めることはできない。いろいろ策を考えて、
「夕方、湯浴みするときに、覗いてください。見えるようにいたします」
 そして、寮の庭に盥を据え、背中がちょうど部屋の窓に向くようにして、勇亮が行水を始めるや和尚を呼んだ。
 和尚も、見つかったらどんな騒ぎになるかと恐れながら、衣をかかげて抜き足差し足、連子窓の破れ目からそっと覗くと、話に聞いたのと露ほども違わない。年月を経たからか、陰毛は半ば白毛が交じって見えた。このとき勇亮は四十四歳だった。

 これは同じ文政二年の十一月に、道海和尚が物語った奇談である。恵亮もその席に呼び出され、詳しいことを語った。
 勇亮は巡拝を急いで、七月十七日には空印寺を出立したそうだ。
あやしい古典文学 No.1018