無住『沙石集』第四「婦人、臨終を障へたる事」より

臨終の障害

 ある山寺の僧が、戒律を破って女と懇ろになり、深く愛し合う夫婦として共に暮らしていた。
 やがて僧は病気になって長く寝込んだが、妻が手厚く看病してくれるのが嬉しかった。
 『弟子などがここまでしてくれることは、普通ない。この妻と一緒になって、ほんとによかった。これで臨終も安心だ』と思ううち、日数を重ね、病気がしだいに重くなった。
 もともとは念仏なども欠かさない真面目な僧だったから、いよいよ最期のときが来たと思い、西方を向いて端座し、合掌して念仏を唱えた。
 すると妻が、
「わたしを捨ててどこへ行くの。だめよ。死なないで」
と泣き叫び、僧の首に抱きついて引き倒した。
「あっ、なにをする。落ち着いて臨終させてくれ」
 起き上がって念仏すると、また引き倒された。
 何度も引き倒されながら、なんとか声を張り上げて念仏はしたけれども、最後は妻と取っ組み合ったまま絶命した。
 臨終の作法としては、まことにみっともなく、魔物に妨げられたとでも言うしかないありさまだった。

 ここまでひどいことはめったにないが、臨終に際して、妻子が枕辺に居並び、泣き悲しみながら自分を慕うのを見れば、仏道修行にとりわけ秀でた者でない限り、それが障害にならないはずがない。
 ほんとうに生死の迷いから解き放たれようと思うなら、菩提の山への道を行く妨げとなる手かせ足かせを捨て、煩悩の海を乗り越える舟のともづなを断ち切るべきである。
あやしい古典文学 No.1019