虎巌道説『燈前新話』「四十九院彌五左衛門記」より

四十九院

 昔、伊達政宗公の時代の仙台藩士に、彌五左衛門という者がいた。中島伊勢守の配下で、金山に住んでおり、二十歳になる嗣子があった。
 彌五左衛門の隣家には十五歳過ぎの娘がいて、大変な美人だったが、いつのころからか彌五左衛門の息子に恋し、日ごとに想いは深くなった。
 女は密かに手紙を届け、想いのたけを訴えた。しかし男はなかなかの堅物で、一度として返事を寄越さない。つのる恋の悩みに、女は寝食もままならなくなった。

 ある日、男は戸倉の観音に参詣しようと、一人で出かけた。
 それを知った女は、あとを追ってゆき、山中の道で追いつくと、男の手をとって語りかけた。
「あなたのことが大好きなのです。諦めることなんてできません。手紙で気持ちを伝えても、ひと言の返事もありませんでした。わたしを哀れと思ってはくださらないのですか。お願いですから抱いてください。この山中なら、誰も見る人はおりません。わたしを切なさから救ってください」
 しかし男はきっぱり拒み、その場を走り去ろうとした。女が必死の形相で取り縋ったので、やむをえず抜刀して斬った。女は即死した。

 男は近くの山寺を訪ね、僧に頼んだ。
「この寺の地面を借りて、自殺したいのですが…」
 わけを聞かれて事情を話すと、僧は言った。
「貴殿は、人を殺したので自殺したいと申される。もっともなことだ。だが、軽はずみに死ぬのは感心しない。ここは君命を待って身を処すべきだ。べつにそう急ぐことでもないはず。拙僧が城下へ行って、委細を伝えてこよう。貴殿は帰りを待つがよい」
 僧はただちに仙台城へ赴き、しかるべき筋に通した。

 話を聞いた政宗公は、こう処断した。
「どう考えても、女のやり過ぎだ。斬り殺されたのも無理はない。男のほうは、その潔癖さに免じて助命してやりたい気がする。だが、人を殺した罪は重い。よってここは、女の両親がもし『恨みはない』と言うなら、助けてやることにしよう。両親に意向を聞いて決めよ」
 老臣が女の父親に会って君命を告げると、父親は応えた。
「軽輩とはいえ、それがしも武士のはしくれです。娘は女子の身をもって淫弄の行いをなし、父親に甚だしき恥辱を与えました。不義不孝これにまさるものはありません。隣家の若者が不義女を殺したのは、当然のこと。あの若者の罪が許されるのは、それがしにとっても幸いであります」
 こうして男はお咎めなしとされ、家に帰ることができた。隣家の父親は、それまで通りに男に接した。

 さて、ある夜、男は夢を見た。
 わが手にかけた女が出てきて言うのだった。
「わたしは一途にあなたを想っていました。だから情けをかけてくださいとお願いしただけなのに、斬られてしまうなんて…。わたしは死にました。でも恋心は今も変わりません。どうか今度こそ、わたしを哀れんでください」
 夢の中のことだから、男もあまりむずかしく考えず、なりゆきにまかせて女と交接した。女はうっとりとため息をついた。
「ああ、これで殺された恨みも消え失せました」

 夢から醒めて後、男は女の気持ちを思いやり、今さらながらに愛おしくてならなかった。
 それからは幾度も夢を見て、その都度さかんに交接した。最期の夢で、女は告げた。
「子どもができました。男の子のようです。生まれたら、あなたの子として育ててください」
 どういうことだろうと不思議に思いつつ日を送り、女の命日の夜、眠れぬままに墓を訪れると、かすかに赤子の泣き声が聞こえた。
 墓を掘り、棺を開けると、生まれたばかりの男児の姿があった。
 男はその子を養育し、成長して後、家を継がせた。

 この話は、やがて政宗公の耳に入った。
「なんと、不思議なことがあるものだ。では、その者の姓を改めさせよ。卒塔婆の下で生まれたゆえ、『四十九院』と称するのがよい」
との達しがあって 以来、代々この姓を継ぎ、曾孫は「四十九院彌五左衛門」といって、当代の藩主に仕えている。
あやしい古典文学 No.1020