虎巌道説『燈前新話』「牧山長善寺霊鬼記」より

長善寺の霊鬼

 牧山(まぎやま)は陸奥の牡鹿郡に属し、山頂には長善寺という寺があった。
 長善寺の住職の永存は長州の生まれで、姪が孤児になったのを憐れみ、良縁を得て嫁に行くまでのつもりで、寺で養育していた。
 牧山の麓には、湊という村があった。笹町新左衛門という人の知行所で、笹町自身その村に住んでいた。

 天文年間、永存は笹町と、山林の境界をめぐって争った。久しく決着を見ず、ついに訴訟沙汰となると、笹町は、村人に連署させた『山はもともと村に属する』との文書を提出した。
 さらに笹町は、永存は姪と姦淫していると訴え出た。これによって郡役所は永存を厳しく糾弾し、国家老の裁きで、藩の流刑地である江島(えのしま)に配流と決した。
 永存が悲憤慷慨したのは言うまでもない。
「山林の争いの件はともかく、姪を犯したなどというのは甚だしい誣告だ。嘘で人は騙せても、天は真実を知っている。この怨恨を晴らさずにおくものか。笹町を呪詛して、必ずや滅ぼしてみせる。もし姪を犯したのがまことなら、呪ってもなんの験もないだろう。無実であるからこそ、偽りで陥れた敵を呪い殺すことができるのだ」
 それからは毎日、江島の海岸へ出て荒波に入り、呪詛することを止めなかった。みずから手指を打ち砕いて火を灯したので、やがて十指は全て燃え尽きた。

 何年もの時が経った。
 石巻から江島に渡ってきた人があったので、永存が笹町の安否を尋ねると、その人は何気ないふうで言った。
「笹町どのなら、いたってご健勝で」
「えっ、ほんとに?」
「はい、ご家族もみなご無事でおられます」
 永存は激怒した。
「うぅ、くやしい。生きて笹町を苦しめ殺すことができないなら、死んで鬼となって恨みを報いてやる」
 これより後、常に自らの死を祈り、心も身体も徐々に衰弱して、いよいよ死のうというとき、島民にこう告げた。
「死んだら、我が骸を逆さまに埋めてくれ。もしそうしなかったら、きっと祟ってやる」
 島民の長はこの遺命に従わず、ふつうに埋葬したが、家に帰るやいなや急病を発して倒れた。それで驚き恐れて、言われたとおりに埋め直した。
 二、三十日たつと、笹町の屋敷の裏山に、夜ごと光り輝くものが出現した。近くからよく見ると、それは逆さまになって浮遊する僧だった。

 まもなく笹町新左衛門が病死した。新左衛門の子の彦三郎があとを継ぐも、これまた不治の病にかかって死んだ。
 ほかに男子はなかったので、中嶋氏の弟の九左衛門を婿養子として家を継がせた。その九左衛門は委細あって他国へ逃亡をはかり、藩主の命で捕縛されて、兄の中嶋氏方に拘禁された。
 これ以前に、彦三郎の母、祖母、幼い女子など、みな相次いで死んでおり、ここにいたって笹町の家は滅亡したのである。
 九左衛門もまた死んだ。湊村は遠山帯刀が賜ったが、やがて遠山も罪を得て、ついに湊村自体が消滅した。
あやしい古典文学 No.1020