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『雨窓閑話』中「桑名屋徳蔵が事併妖怪と答話の事」より |
船乗り徳蔵 |
桑名屋徳蔵は名だたる船乗りで、あちこちの難海をものともせず航海した男だ。 その徳蔵が言うことには、「月末の日に船を出すのは、ひかえたほうがいい」と。わけはこうだ。 ある月末の日、徳蔵がただ一人で海上を行くと、にわかに風向きが変わり逆波が立ち騒いだ。黒雲が覆いかかって船を中空に巻き上げるようで、並の人なら肝魂も消え入るところだが、したたか者の徳蔵はちっとも動ぜず、じっと蹲ってこらえていた。 やがて目の前に、常人の倍ほどの背丈の大入道が、血走った巨大な両眼をぎらつかせながら現れた。 「どうだ。わしが恐いか」 と妖怪が言うので、徳蔵は、 「世渡りのほかに、これといって恐いものはない」 と返した。 すると大入道はたちまち消え失せ、波風も静まって、徳蔵は危ない命を助かったという。 また、あるとき徳蔵は北の海を航海して、嵐に遭った。 方角も分かたず吹きつける風に漂流するうち、船の食糧が尽きて飢餓にも苦しんだ。 配下として乗り組んだ三、四人は、みな声を上げて泣き叫び、徳蔵に頼んだ。 「こんな大風に遭って船が難破しそうなときは、髻(もとどり)を切り、帆柱を切り倒して神仏に祈れと言います。親方、是非そうしましょう」 しかし徳蔵は拒んだ。 「おれはいやだよ。船主と生まれたうえは、ひたすらその職分を大切にして、余計なことに心を動かさないのだ。帆柱は船の肝心かなめの道具で、武士の腰のものに等しい。侍が、命惜しさに腰のものを打ち捨てるなどということがあるものか。そもそも命は天の定めたもの、この風も天のもたらすものだ。人力の及ぶところではない。髻を切って出家になっても、神仏が喜んでくれたりするものか。命が惜しくて仕方なしに坊主になったと、笑われるのが関の山だ。おれはこの嵐を戦場として、討ち死にする覚悟だよ。天の助けがあれば助かるだろう。さもなくば、ここで死んで本望だ」 あえてたじろがず耐えていると、ついには風が静まり、波もおさまって、無事に切り抜けることができたのだった。 |
あやしい古典文学 No.1025 |
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