林羅山『幽霊之事』「赤丁子」より

赤丁子

 中国の唐の時代、洛陽に牟頴(ぼうえい)という者がいた。
 牟頴は年若いとき、酒に酔って野原へ行き、夜ふけまでさ迷い歩いたすえ、とある道端に座り込んで休んだ。
 ふと傍らを見ると、野ざらしの髑髏が一つ転がっている。『ふびんなことだ』と思って、穴を掘って埋葬してやった。

 家に帰って、その夜の夢に、白い衣を着た二十歳ばかりの男が、剣を杖にしてやって来て、牟頴を拝して言った。
「俺は強盗だった。いつも好き勝手に人を殺し、悪事ばかりはたらいてきた。ところが、ある時、分け前のことで仲間ともめたあげく殺され、路傍に埋められた。死骸は風雨に暴かれて、野に晒されたまま長い年月がたったが、君の慈悲によって、葬ってもらうことができた。だからこうして、礼を言いに来たのだ。
 俺は生きているとき、なかなか義理堅い男だった。死んでからは、義理堅い鬼になった。君がもし祭祀を行って供養してくれるなら、俺はそれにあずかって、これから先、君の召使になろう。君の恩を受けて飢渇を免れるなら、君の望むことを何でも、思いのままに叶えよう」
 牟頴は夢の中で応諾し、醒めて後、供物を供えて強盗の霊を祭った。するとまた、夢に鬼が来て、
「俺はもう、君の言うがままだ。用があるときは、『赤丁子!』と呼んでくれ。その一声で、必ず飛んでくるぜ」
と約束した。
 それからの牟頴は、何であれ欲しいものがあれば、ひそかに赤丁子を呼んだ。赤丁子はたちまち数多の財宝を盗んできたので、牟頴はたいそう金持ちになった。

 あるとき牟頴は、隣家の妻がすごい美女なのを見て、これを手に入れたいと思い、赤丁子に頼んだ。
 その日の夜半、隣の女は、みずから垣根を越えてやってきた。これには牟頴も驚いたが、女が言うには、
「ここに来ようなんて思いもしませんでした。夜中に怪しい者が来て、わたしを捕らえて、連れてきたような気がするんです。でも、すべて夢うつつの出来事で、なにがなんだか分かりません。どう言い訳して我が家に帰ればいいのでしょうか」と。
 泣き悲しむ女に、牟頴は、
「そうだな。このまま帰っては、まず許してもらえまい。当分この家に隠れているのがよかろう」
と言って、一室に留め置いた。
 隣家の夫は、妻の突然の失踪に驚き、懸命に探しまわった。ついには、『誘拐された疑いあり』と奉行所へ訴え出た。
 ことが露見するのを危ぶんだ牟頴は、まず女を別の場所に移し、それから家へ帰して、
「どういう妖怪かわかりませんが、わたしを捕らえて連れ去りました。やっとのことで今、逃げ帰ってきたのです」
と言わせた。

 以後は、三夜に一度、あるいは五夜に一度、赤丁子が女を牟頴のもとへ連れてきて、夜明けが来ると送り返した。女の周囲の者は、だれも気づかなかった。
 そんなことが一年続いて、女ははなはだ怪しみ、牟頴にわけを教えるよう迫った。牟頴は答えようとしなかったが、女は執拗に問い詰めて、
「もし教えないなら、このことを奉行所へ訴え出ますよ」
と言ったので、ついに全てを白状した。
 女は家へ帰ると、仔細をありのままに夫に語った。それで隣家は、ひそかに道士を招き、まじないの札を門のいたるところに貼った。
 夜、赤丁子が隣家の門前に来てみると、護符があって入れない。帰って牟頴に告げた。
「俺を防ごうと、札を貼ってやがる。いまいましい奴らだ。今度女を連れて来れたら、もう二度と帰すまいぞ」
 数日後の夜、にわかに辻風が起きて、隣家の灯火をことごとく吹き消した。道士の張った護符も一つ残らず散り失せ、女の姿も消えた。
 夜が明けると、夫は奉行所へ駆け込んだ。
 奉行所の捕吏が牟頴の家にいたったとき、牟頴はすでに女を連れて、行方をくらましていた。

 この話は『瀟湘録』に載っている。
あやしい古典文学 No.1028