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『梅翁随筆』巻之四「聖堂御造営の事」より |
オヤジと姫君 |
寛政十年より、湯島聖堂の普請が始まった。 旗本・御家人の子を、長男か次男以下かを問わず教育しようとの趣旨で、学問所その他に御取立てがあった。寄宿するのも通うのも勝手とし、修業に差し支えないように多くの間数を設けるため、湯島本郷辺の武家屋敷や町家が用地となって、この時から本郷通りが曲がって通る道筋となった。 聖堂の大成殿の建築に、あちこちから大勢の人夫が集まる中、本郷から五六人連れで来た土工が、道で奇妙な二人連れに行きあった。 一人は、板〆緋縮緬の大振袖にしごき帯をして、上に八丈縞の小袖をはおった十七、八の娘。その娘の手を引いているのが、垢じみた木綿の着物で、ところどころ破れて綿の出たのを着た五十がらみのオヤジだ。 娘は、土工たちのほうを向いて、 「助けて、助けて」 と涙を流して言う。整った面立ちで、ものごしに気品があり、そこらの町娘とは思われない。 呼び止めて話を聞こうとするに、オヤジがわけの分からないことを言うので、土工の親方は、 「なにしろ、その姿では見苦しい。われらの家へ来て身支度するのがよい」 と、無理やり家へ連れ帰った。 まず娘に汚れた足を洗わせると、慣れない手つきでぐずぐずして、しかも使った後の手拭は土間に投げ捨てた。どうして捨てるのかと訊くと、 「下を拭って不浄ゆえ」 と答える。その様子は、頭が足りないようには見えないが、着物の着方がだらしなく、帯もひとりで締められないらしかった。 「どうも、わけがありそうだ。この娘は、こちらで預かろう」 と親方が言うと、オヤジは納得せず、けんか腰になった。 「おまえら、よけいな口出しするな」 「そうはいくか」 「なんだ、文句があるなら、殺してみろ。さあ殺せ」 声高に言い合うのを家主が聞きつけて仲裁し、オヤジを家主方へ連れて行って、娘のことを問うと、名前も知らないらしい。 「あやしい奴だ。番所へ引き立てよう」 と大勢が立ちかかり、オヤジは騒ぎの中、ほうほうの体で逃げ去った。 その後、娘に家や親の名を尋ねたが、ただ泣くばかりで何も言わない。困っていると、夕刻、人品のよい町人が訪ねてきた。 「かの娘は、わたしの出入り屋敷の人なので、貰い受けたい」 そう言われても、さきほどのオヤジの回し者かもしれないと思って、取り合わなかったところ、夜になって今度は、どこぞの屋敷の家老か用人とおぼしい侍が来た。 「わが屋敷の奥をつとめる女が、こちらで世話になっていると聞き、受け取りに参った」 不審なところのない人だったので、娘に引き合わせると、娘はこの侍を見てはじめて安堵した様子で、語り合うさまは主従のようだった。 侍は浜町の某屋敷の家来だと分かって、娘を引き渡した。屋敷より礼として、樽代五十金を贈ってきたという。 ある人の話によると、屋敷の主人は乱舞を好み、たびたび能囃子(のうはやし)を催した。そのときに下谷から来る笛吹きの美少年と、姫君が忍び逢う仲になったが、このごろ、何かの都合で美少年の足が遠のいた。姫君は恋慕のあまり、腰元を連れて屋敷を抜け出し、道に迷ったものらしい。 屋敷の奥向きと表通りとの境には、竹薮がある。篠竹が鬱蒼と繁って路がないようだが、潜り出ればすぐに表へ出られる。数年来、よその若侍もそこを通って、奥の女中と密通していた。 このたびの姫君も、竹薮から忍び出たものの、美少年をたずねあぐね、例の薄汚いオヤジに捕まったのである。 |
あやしい古典文学 No.1031 |
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