森春樹『蓬生談』巻之三「河伯に雇はれて相撲とりし人の事」より

夜の大相撲

 筑後国生葉郡吉井宿の近村の百姓が、城の役所から村々への回状を持って、吉井の大庄屋へ届けに行く途中、一人の若者に話しかけられた。
「今夜、われらは近くの河原で相撲を取るのだが、相手方の関取が強くて、こちらには勝てる者がおらぬのです。なにとぞ、われらに加勢して、おまえさんに相撲を取ってもらいたい」
 百姓は今まで相撲など取ったことがないので、そのことを言って断ったが、
「いやいや、おまえさんが立ち合えば勝てるにちがいないから、是非とも頼みます」
と、いっこうに引き下がらない。もてあましているところを、無理に手を引いて連れて行こうとする。
 そこへまた二人ほど来て、同じく連れて行こうとするので、
「わしは大事な回状を届けねばならぬ。届けたあとなら、いかようにでもしよう」
と言うと、
「その書状はこちらへ」と奪い取り、
「われらが必ず届けよう」と、はやくも一人が持って駆け出した。

 百姓は引き立てられ、押し立てられてしばらく行った。
「すまないが、われらのするままに堪忍しておられよ」
 そう言われて、着物を脱がされ、田んぼの泥を体じゅうに塗りつけられた。
 さらにまた行くうち、相撲場が近くなったらしく、大勢の人声が聞こえてきた。
 行き着いて見ると、おびただしい数の見物人で格別の賑わい。相撲は次々に取組が進み、二三十番も過ぎて、結びの一番となった。
「さあ、いよいよです。土俵には、這って上がりなされ」
 言われたとおりに這い上がると、向こうの名乗りは「荒波」、こちらは「飛び入り」とふれて、行司の声で立ち合った。
 向こうは百姓の胸にようやく頭が届くくらいの小男だったが、力はなかなか強い。それでも、簡単に土俵際まで押し込んで、肩を掴んでねじ伏せた。
 こちら方の人々の喜びは大変なもので、しばらくはどよめいて何を言っているのか分からない。ところが、その物音が静まると同時に、今まで大勢の人がいたのに、向こう方には一人も見えず、こちら方のみ二十人ほどがいて、嬉しげに礼を言った。

「では、村まで送ります」
 そう言って五六人がついてきて、道の途中、来るときに塗った泥を洗い流した。
 我が家の垣根のところまで送って、皆帰っていったが、百姓は腰差の煙草入れを落としたことに気づき、取りに出ようとしたとき、一人が走って戻ってきて、
「これを落としていた」
と、腰差を渡してくれた。
 そのときに聞いた話で、西方の関取は三原郡の片ノ瀬の荒波、東方の関取は生葉郡の簗瀬の荒熊なのだが、荒熊は荒波にまるで勝てないので、この百姓を雇ったと分かった。

 その夜は我が家で寝て、明けると、回状のことが気がかりなので、吉井の役所まで出かけた。
「昨日、回状を持ってくる途中に腰を痛めたため、やむなく人に頼みましたが、届きましたでしょうか」
と問うと、昨日の夕刻に確かに届いたとのことだったので、ほっと安心した。そして、このときやっと、『あれは河童の相撲だったのでは……』と気づいた。
 こんなぼんやりした人だから、河童が見込んで雇ったのだろう。
 この話は、筆者の知己の長春庵桃秋翁から、以前に聞きおいたものである。
あやしい古典文学 No.1036