『北陸奇談』三より

遺髪

 加賀国の城下に、十兵衛という者がいた。江戸へ出て数年奉公し、多少の蓄えを作って故郷へ帰り、商売をはじめた。
 十兵衛は江戸にいるとき、ある女と深い仲になったが、江戸を去るときには、『女は足手まといで、立身の妨げにもなる』と思って、何も知らせず加賀へ帰った。
 女は後に人づてに話を聞いて、ひどく悲しんで身体をこわし、長い病の床についてしまった。

 十兵衛は加賀で商売に身を入れて、半年のうちにかなりの利益を得た。
 ところがそこに、ふと江戸の女の姿が現れて、捨てられた恨みを語り、
「どうかお願い。江戸へ迎えに来て」
と頼んだ。
 最初は、狐か何かが誑かすのだろうと思って取り合わなかったが、女が何度も来るので、だんだん恐ろしくなった。
 友達に相談したところ、
「それは野狐などのしわざにちがいない。氏神へ立願するのが一番よい」
と言うので、氏神はもちろんのこと、ほかの神仏へもさまざまに願をかけた。しかし、何の効果もなかった。
 そこでついに決心して、脇差を枕元に置き、『来たら一打ちに…』と備えつつ寝に就いた。
 はたして、また女が来た。躊躇なく抜き打ちに斬りつけると、アッ! と叫んで形は失せた。

 その後しばらくは何事もなかったが、ある夜の夢に、女が来て、
「これほど思い焦がれているわたしを、よくも、よくも手にかけたわね。憎いあなたに、これを上げるわ」
と言って、おのれの髪の切ったのを呉れた。
 夢から醒めてみれば、髪のひと房をたしかに握っていた。
 不思議さと恐ろしさから、すぐに江戸へ向かい、女の住まいを訪ねて、かの幽霊を斬った夜に、女が死んだことを知った。
 ここにいたって十兵衛は、はじめて悲しみと悔恨の涙にくれ、「一目会いたい」と埋葬した寺に願って、女の墓をあばいた。
 死骸は今息絶えたばかりのような生々しさで、袈裟がけに斬り殺されてあった。髪は髻(もとどり)から切れていた。
あやしい古典文学 No.1038