浅井了意『新語園』巻之八「鄭襲門下作虎 太平広記」より

虎失格

 栄陽の鄭襲は、中国、西晋の太康年間に太守に任ぜられた人である。
 その鄭襲の弟子が、ある時にわかに狂乱し、家を走り出て行方知れずになった。
 何日もたってから、山の下に赤裸で倒れてウンウン呻っているのを見つけだし、家へ連れ帰った。
 皮膚があちこち酷く破れて出血しているのを、あれこれ治療してやった後、そんなことになったわけを問うと、弟子は語った。
「じつは、土地神に囚われて、虎にされていました。虎模様の皮を着せられてたちまち虎となると、毎日虎の動作の練習です。私は跳躍が全然だめだったので、とうとう神が怒って、皮を剥いで追放しました。すでに肉についた虎皮を乱暴に剥がされて、その痛みは堪えがたいものでした。そのときに皮膚が損じ、肉も潰れ、血が噴き出たのです」
 十日ばかりたつと傷が癒えて、もとの人に戻った。

 『淮南子』には、「牛哀という者が病んで、七日にして虎に変じ、その兄を食った」とある。これもまた浮説ではない。
 『五行志』に、「柳州の佐史が病んで虎となり、その兄嫁を食おうとした。後にまた正気の人に戻った」とあるのも、また実説である。
あやしい古典文学 No.1039