『因幡怪談集』「阿波国の浪士に生霊の付居ける事」より

丑の刻の女

 鳥取藩初代藩主 池田光仲公の時代、一人の阿波の浪士が因幡に来た。仕官を望んで鳥取に滞在するうち、若い衆の知り合いも多くなり、その中の四五人とは、しょっちゅう寄り合って夜話などに興じた。
 ところが、この浪士は、夜話に来ても、夜の八時ごろには、「用事がある」と言って帰ってしまう。いつもそうなので、だれもが不審がった。
 浪士宅に集まることもあったが、八時ごろになると居眠りを始めるので、みな仕方なく、早々に帰った。

「それにしても不思議だ。独身だし、ほかに用事があるとは思われない。忍び妻でもいるんじゃないか。夜話に行ってそのまま居座り、もし女が来たら、大いにからかって笑おうではないか」
 四人の若者が相談し、暮時分から何気ないふうで一人ずつ浪士宅を訪れた。集まったところで、
「今宵は、さいわい皆ひまだ。夜が更けるまで話をしよう」
と言うと、主人の浪士も喜んで、
「それはよい。ありがたいことだ」
と応えてもてなし、あれこれ物語して時が移った。
「だいぶ夜も更けた。皆々方、そろそろ帰られるがよかろう」
 主人の言葉に、四人は言い返した。
「いや実は、今夜はなんとしても夜通し話そうと、申し合わせてきたのだ。気が進まぬであろうが、もっと話そう」
 主人は笑って、
「そうか。では、もはや何のもてなしもないけれど、夜の明けるまで語りたまえ」
と、木枕を取り出して寝転んだ。

 丑の刻、すなわち午前二時ごろになると、しきりに眠気がさした。しかし四人は、目と目を見合わせてこらえた。主人はずっと早くから、前後も知らず寝入っている。
 そこへ誰か、縁の障子を静かに開けて入ってくる者があった。『何者か』と見れば、十六七ばかりの綺麗な女だ。『やっぱりな』と思いつつ、四人とも寝入ったふりをしていた。
 女は主人の傍らに座ってじっと寝顔を見てから、また立ち上がり、座敷の様子を見回して、また障子を静かに開けて外へ出た。障子を閉めるときに見えた指の美しさは、言いようもなかった。
 四人は、『忍び妻にまちがいない』とは思ったものの、女が入ってきてから帰るまでのことが夢うつつで、たしかな記憶がない。それが不思議でならなかった。

 やがて夜明け近くなったので、暇乞いして帰ろうとした。しかし、主人はぐっすり寝込んでいる。近寄って、
「夜が明ける。我らは帰るゆえ、起きてくれぬか」
と声をかけると、やっと目を覚ました。
 そのとき四人は口を揃えて、夜分に見たことを物語り、
「貴殿とは腹を割ってなんでも話す間柄なのに、水臭いではないか」
となじった。
 聞いた主人は、
「不審に思うのはもっともだ。だが、これには深いわけがある。わが恥を語ることになるが、真実を明かそう」と、打ち明け話をした。
「拙者は、生国の阿波で、さる町人の娘の美しさに心惹かれ、娘のもとへ通うようになった。だが、もとより立身の望みがあったから、『妻など持つべきではない』と思い直して縁を切り、この因幡へやって来た。娘は深く悲しんで、さまざまに離れ難い気持ちを書き送ってきたが、あえて返事もしなかった。娘の親たちはこのことを知らなかったのか、まもなく同じ町人の方へ嫁にやり、嫁ぎ先になじんで子も二人できたと聞く。それでも恋の執心は今も残るらしく、『阿波よりこちらまで、海上をかけ、山川数十里隔たるとも、心は通いまする』とばかりに、毎夜、丑の刻ごろ、夢のように現れ来るのだ。昨夜、皆が見てのとおりで、まことに恥ずかしき次第。どうか口外は無用に願いたい」

 この後、浪士はなんとなく病みつき、半年ばかりして死んだという。
 打ち明け話を聞いた四人のうちの、吉田氏が語ったことである。
あやしい古典文学 No.1040