『西播怪談実記』巻七「瓜生村にて毒蛇のために三人死せし事」より

人を倒す池

 播州赤穂郡矢野ノ庄の瓜生村に、甚太夫という農夫がいた。
 甚太夫の家の裏には、谷水を受けるごく小さな溜池があって、そこの水を柄杓で汲んで、朝夕の用に遣っていた。

 延享四年の七月五日の朝、甚太夫の娘が、池の水を汲みに行って、腹を上にして浮かぶ小蛇を見た。その少し傍らに、これまた腹を上にした蛙の姿もあった。
 娘は気味悪く思って、急いで帰って父親に告げ、取り捨ててくれるよう頼んだ。
 甚太夫が行って見ると、なるほど娘が言ったとおりだったから、着物の裾をからげて池に跳び込んだ。跳び込むと同時に、俯けに倒れた。
 甚太夫の弟の彦三郎が、それを見て駆けつけ、助け上げようと跳び込むと、これまた倒れて、兄の上に重なった。
 女房も娘も、驚いて泣き叫んだ。その声で隣家の孫六という者が走ってきて、跳び込むやいなや、先の両人の上に倒れ重なった。
 つづいて同村の山三郎という者も走ってきて、委細を聞くことなく跳び込んで、これも同じく倒れた。
 こうなると、みな恐れて池に入ろうとしない。ところが、遅ればせに甚七というものが来て、止める間もなく跳び込み、またまた倒れた。
 五人が折り重なって倒れている。どうしたものかと相談して名案が出ないうちに、孫六の兄の善六が腰に縄をつけ、その縄を持ってもらって池に入った。善六はたちまち顔色変じ、気絶寸前。縄を手繰って引き上げたが、いったんは意識を失った。

 そうするうちに村じゅうの者が集まったので、鍬でもって池の周囲を掘り崩し、やっと五人を引き上げた。
 下土井村の水守林庵、高田ノ郷白井村の福田立庵という二人の医師を呼んで、治療の手を尽くしたけれども、甚太夫・彦三郎・孫六の三人は命を落とした。
 山三郎・甚七は蘇生した。この二人と一時気絶した善六とは、毒気に当たったせいなのか、久しく体調を崩し、日数を経て本復した。
 池を掘り崩した者たちに、医師が、
「鍬を振るっているとき、なにか変わった様子はなかったか」
と訊ねたところ、
「そういえば、石垣から小さな蛇が一匹出たな。『それ、蛇だ』と言ううちに、どこぞへ行ってしまった。蛙もいたという話だが、それは初めから見かけなんだ」と。
 三人の病人に問うと、山三郎・甚七は、
「池に跳び入るまでは覚えている。その後のことは分からん」
と言い、善六は、
「池に入ったとき、とんでもない臭いがした。とても言葉では言い表せない。思い出すと、今でも胸が悪くなる」
と答えた。

 いったいどんな毒蛇だったのだろうか。その後、この事件に考察を加えた人はいない。
あやしい古典文学 No.1046