堀麦水『三州奇談』四ノ巻「屍骨毀誉」より

奔放なる屍体

 宝暦十二年のことだ。
 金沢小立野で酒屋を営む勝見屋五右衛門が、隣町の銭湯へ行って、風呂の中で頓死した。
 死体を家に持ち帰って、親族一同が嘆きつつ棺に入れて仏間に置き、その夜、二人の者が宿直した。

 真夜中になって、棺桶がしきりに鳴り響くので、二人とも驚き、人々を呼んで棺の中を調べたところ、死骸がむっちりと肥え太り、とりわけ手足が太く腫れ膨れていた。
 不思議なことだと思いながら、あらためて棺をよく結わえ直した。しかし、しばらくするとまた棺が鳴り響き、ついに死骸が内から蓋を跳ね飛ばして、いちだんと太く逞しくなった姿を現した。
 見るも恐ろしい様相ながら、死体であることはまぎれもない。『このうえは一刻も早く火葬にしてしまおう』ということになった。僧との相談で翌日午後の葬送と決まっていたのに、翌早朝には頑丈な縄で棺桶を縛り上げ、八人がかりで担いで菩提寺の福念寺へ運び込んだ。
 焼香なども手早く済ませ、焼場へ行って『今すぐ焼いてくれ』と頼むと、隠亡たちが不審がってなかなか首を縦に振らない。親族代表が証文を書いて、やっと火葬にこぎつけた。

 年取った伯父が一人、見届けのため焼場に残った。
 焚き草を山のごとく積み、炭も数十俵用いて、盛んに火炎が立ち上るなか、青い光が現れ、竹を裂くような音が響きわたった。光と音は夜まで続き、明け方まで消えなかった。
 老人が呆れて、隠亡に、
「こんなことがあるものなのか」と尋ねると、
「たまにある。先ごろ江沼郡の百姓もこんな具合で、隠亡はずいぶん迷惑したらしい。また、近江の猟師にも同類のことがあって、死んで三日目には死骸が六畳敷に余るほどになって、壁を突き破ったとか。あまりの大きさに扱いかね、周囲を掘り抜いて埋めてしまったところ、噂が公儀に聞こえてややこしくなった。検使が来て、改葬を命じられたそうな」とのことだった。

 南都の霊験記には、『奈良の者が他国へ行って帰り、三笠山に詣でて社前で急死した。死骸は見る間に三間四方に膨れ上がり、親類どもはばらばらに切り分けて埋葬した。これは鹿を食った神罰である』とある。
 勝見屋五右衛門のようなことも、日ごろの不信心から起こるというわけか。恐るべし。
あやしい古典文学 No.1050