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森春樹『蓬生談』巻之三「狐を妻とせし人の事」より |
見た目は女房 |
わが豊後日田郡の中嶋村に、荘官を務める石松氏という旧家がある。この家の当主が、狐を妻にしたことがあった。 今から七八十年前、主人某の妻は鎌手村の荘官の娘でお岩といったが、大病に罹って、十中八九は助からないという容態となった。 そのころ筑後三原郡松崎の宿に、お松狐という名高い狐がいた。これを信じて吉凶を問うと極めて効験があるというので、主人は人を遣って妻の延命を頼んだが、 「その病人は救うことができない。必ず死ぬ」 とのことだった。 それでも主人は諦めず、再度頼みに遣ったところ、お松が言うには、 「前にも言ったように、お岩の命はとてもじゃないが救えない。もし狐の魂でかまわないなら、魂を入れ替えて、体だけを生かしておくほかに術はない。それでもよければ、入れ替えてあげよう。もちろん、物言いも動作も元のお岩と少しも変わらない。見た目は同じだ」と。 話を聞いた主人は、 「こうなったらもう、見た目が同じであれば、魂が狐だって何だってかまわない」 と返事し、お松からは、 「では、わが孫娘をつかわそう。病人の命はまもなく終わる。それと同時にわが孫が入れ替わって、なに不足なく立ち働くであろう」 と言ってきて、そのとおりに、病人は突然起きて、病む前のお岩の平常の状態になった。声の様子といい起居動作といい、一つも違わなかった。 その後、主人はお松に、松崎へ婿入りする形をとるよう求められたので、仰々しく裃を着て赴いた。 主人は狐の穴の前に座ると、供の者たちは宿へ返した。 しばらく時を経て主人も宿へ戻ってきたが、何も話さないので、お松が出迎えて料理などで饗応したのかどうか、余人の知るところではない。 いっぽう妻のほうは、大勢の家人をとりおさめ、家事を取り仕切ることお岩に変わらず、両親にもよく仕えた。夫婦の仲はうるわしく、家産はますます繁盛した。 ただ、月に一二度、あるいは三度、松崎から客が来ることがあった。そのときは妻の采配で、召使たちは酒肴を調えて待ち、客が来たと聞けば座敷に灯をともし、酒器・飯膳を麗々しく据え並べた。 妻は盛装して座敷に出ると、灯を消し、暗闇の中で挨拶した。しばらくは物語などするらしく、時おり笑い声も交じった。このとき二部屋ばかり隔てて控えている召使たちが窺い聞くに、言語は何やら不分明で、歌をうたうような声も聞こえたそうだ。 やがて障子の開く音がして客が帰ると、妻が手を打って合図する。それでまた灯をともし、器物を片付けるのだが、座敷の有様は人間の飲食したあとと違うところがなかった。 そのようにして三年たつと、主人は重い病の床に伏した。 妻が日に日に弱っていく主人を介抱し、看病するさまは心がこもっており、臨終のときの悲嘆も人間に少しも変わらなかった。 主人が死ぬと、なきがらに屏風などを引きめぐらして後、妻は自室に入り、と同時にばったり倒れ伏して、たちまち古枯れた死骸と変じた。これは、狐が人体を去って松崎へ帰ったのである。 この石松家と筆者の家は昔から取引があって、かの松崎からの客が来たときに酒肴を調えた召使が折々わが家にも立ち寄って、「今日もお客ですよ」などと言ったと、祖父母がよく筆者に話し聞かせたものだ。 筆者自身、子供のときに石松家へ連れられて行って、泊まったこともある。 そのころまではまだ富豪で、座敷の後ろの山の崖に稲荷社があり、その傍らに狐の穴もあって、常に出入りしている様子だったが、近年はずいぶん衰微してしまった。 |
あやしい古典文学 No.1052 |
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