人見蕉雨『井窓夜話』巻之中「穴入異聞録」より

穴入り異聞録

 わが久保田藩内の矢橋村に、帰命寺という寺がある。天和年間、その寺の住職が、入定を願い、六十有余歳にして生きながら穴入りした。
 僧は、大きく造らせた棺の中に座って埋められた。節を抜いた長い竹竿が土中の棺から地上へ通され、それに耳を当てて僧の打つ鉦の音を聞くに、十日あまりで鉦の音が聞こえなくなった。
 『鉦の音がやんだ日から百年の後に掘り返せば、必ずや驚くべき徴(しるし)を見るだろう』と言い残してあったという。

 どういう修行のために穴入りをしたのかと調べたら、いろいろ分かった。
 この僧は、俗界にあったころは大胆不敵の盗賊で、あちこちの国で放火・殺人を犯した者だった。
 当国でも何度も強盗をはたらいてついに召し捕られ、糾問されて白状した犯行はすべて大罪に当たるため、直ちに入牢し、その年の内に他の罪人と共に磔になった。
 ところが、槍先十六本を受けながら、すべて急所を外れて死ななかった。死んだふりをしているうちに、役人も見物人も皆、確かに死んだと思って帰っていった。
 そのころは、処刑のあとの刑場に番人を置かなかった。死んだふりの盗賊は、柱の上に繋がれたままだったが、真夜中に及んで近くを通りかかる旅人があった。
 盗賊は、旅人を呼んだ。ぎょっとして足早に行き過ぎようとするのをしきりに呼びとどめ、目をいからして叫んだ。
「おのれ。俺を見過ごして行くならば、恨み一念の鬼となって、おまえを生かしておかないぞ」
 これに怖じて立ち戻った旅人に、
「俺は今日、槍で突かれたが、このとおり生きている。役人どもは死んだと思い込んで帰った。まぬけなやつらだ。さあ、おまえ、この縄を解いて俺を助けてくれ。そうすれば、土中に埋め隠してある金子百両を、礼にやろう」
と言うと、旅人はさらに震えおののいた。
「もし後日、助けたことが露見したら、私が罪に問われます。できません」
 盗賊は大いに怒った。
「十六本の槍に突かれて死なないこの俺を、馬鹿にするな。後日また捕まっても、恩を受けたおまえを売ったりするものか。助けないというなら、それもよかろう。舌を食い切って死んで鬼となり、おまえを無事には帰さない」
 目を血走らせ、髪も髭も逆立てて喚いたので、旅人も『もし縄を解かなければ、きっと今すぐ取り殺される』と思って、おそるおそる磔柱に近づき、縄目を引き解いて、盗賊を下ろしてやった。
 豪胆者とはいえ、さすがに深手を負っているので、すぐには歩行できない。その場に尻餅ついたまま、旅人に手を合わせた。しかし旅人は、謝礼の金子のことも忘れ、後も見ず一散に逃げていった。
 しばらくして盗賊が、少し立ってみると、本当に急所はことごとく外れたらしく、二足三足と歩くこともできる。そこで、疵口をしっかり巻き、木の枝を杖にして、ひそかにその場を離れ、いまだ夜深い山中へと入っていった。
 その後は大平山の奥に隠れて傷を癒し、木の実を食って二年余りを過ごした。
 このことは誰も知らなかった。刑場の磔柱から一人消えたことも、猿などが引いていって食ったのだろうと、問題にならなかったのである。

 さて、盗賊は、当国では多くの人に知られているので、里に出ることもままならない。よって当国を立ち退き、江戸へ出、さらに京都へ上った。そうするうちに、これまでの罪を省みて仏にすがる心が起こったか、京都のある寺に入って、剃髪して僧となった。
 里へ托鉢して月日を送り、歳月を経るうちに罪障の念も滅したが、ひたすら修行に身をやつし、与えがなければ食せず、問いがなければ物言わずであった。
 やがて諸国を行脚し、しばらく中国地方にとどまっていたとき、知人のつてで、羽州秋田の矢橋村、帰命寺の住職にならないかという話があり、それを幸いとして故国へ帰ってきた。墨染の衣の僧を、かつての凶賊だと知る者は一人としてなかった。
 住職となって、つくづく昔日を思うに、『一度は磔にまでなった身が、かつて縄目に引かれた国の寺へ入った。これは夢であろうか。うたかたのこの世に、そんなことがあるものだろうか』と感慨深く、『六十まで生き延び、これ以上なにを望むという身ではない』と悟って、入定を決心するに至った。
 もう一つには、『このまま老いて死ねば、体じゅうの傷あとを見た者が、きっと不審を抱くだろう』と思い、死後に体を見せないための穴入りでもあったようだ。

 天明三年の夏は、穴入りからちょうど百年に当たり、『どんな驚くべき徴(しるし)があるか』と、土中を掘ったという話だ。
 なにがあったか、それは知らない。
あやしい古典文学 No.1058