『因幡怪談集』「雲州松江の御家中、中村半兵衛妻幽霊の事」より

親友の妻が来た

 槙島翁馬は、雲州松江の生まれである。
 その父親は一色勘十郎といって、松江藩士だったが、わけあって浪人して因幡に来た。

 一色勘十郎は、松江にいたころ、同じ家中の中村半兵衛という者と無二の親友だった。
 ある年、半兵衛の妻が死んだが、四十九日も済まないうちに、半兵衛は急な御用で大坂へ発った。
 それからしばらく後、勘十郎が自宅で床に就いていると、半兵衛の死んだ妻が来た。
 夏の夜のことで、蚊帳を吊って寝ているところへ、足元のほうから蚊帳の裾を上げて内に入り、勘十郎の左右の脛を両手で押さえながら、半兵衛の居所を尋ねた。
「半兵衛は出かけて、家にはいない」
「どこへ行きましたか」
「御用があって、大坂へ行った。だから今は留守だ」
「そうでしたか。日ごろ親しい仲だから、貴方様に訊いたら分かると思って、ここまで参りました」
 そう言うと、立ちかけながら蚊帳の裾を上げて外へ出たのを、勘十郎は確かに見た。夢かもしれないが、夢とは思えない。亡霊の手が脚を押さえたときの冷たさ、気味悪さは、けっして忘れられないものだった。
 その後、大坂から半兵衛が帰って、勘十郎に話した。
「妻は死後、毎晩、夢となく幻となく現れ来て、在りし日のことなどを語った。大坂へ旅立って後は久しく現れなかったが、あるときの夢に『今まで行方が分からなくて、お会いできませんでした。勘十郎殿に会って尋ねましたら、大坂に逗留とおっしゃったので、やって来ました』と言って、それからは前と同じく毎夜来るようになった」
 聞いた勘十郎は思わず手を打って、先の夏の夜のことを語り、半兵衛も大いに驚いた。
 二人は後々まで、このことを繰り返し語り合ったという。

 勘十郎は鳥取で、家老の荒尾志摩守家の祐筆となり、一色忠左衛門と名乗った。
 忠左衛門が病死すると、子の一色忠五郎が祐筆役を継いだが、藩の財政逼迫の余波で、忠五郎は解雇されて浪人となった。そのときに苗字も名も改めて、槙島翁馬と名乗ったのである。
あやしい古典文学 No.1060