田中葵園『佐渡奇談』中之巻「東林坊桜之事」より

花の別れ

 佐渡国雑太郡西方村の東林坊のそばに、数十株の枝垂れ桜があった。いつごろ植えたものか分からないが、寛永十二年の春より、花見に来る人が少なからずあった。
 やがて花見の名所として知られるようになって、地元のみならず相川からも人が押し寄せた。後には国中に聞こえ渡り、そこかしこからの見物道も混雑した。

 寛延元年の春は、花がいつに増して咲き満ち、枝も見えないほどだった。
 見物人はおびただしく、夜になっても帰ることを忘れ、酒を飲み、謡い、踊り、さまざまに遊んでいた。すると、いちばんの大木の花咲き乱れた梢から、怪しい声がした。
「花も今年かぎり、人も今年かぎり、名残惜しいのう。さらば、さらば……」
 声は泣くがごとく、訴えるがごとくに聞こえ、人みな冷や水を浴びたような気持ちになって、逃げるように帰っていった。
 この怪事を知らない人が翌日も大勢押しかけ、花は夕映えが素晴らしいなどと言って居残ったが、夜になると、すすり泣くように、
「花も今年かぎり、人も今年かぎり、名残惜しいのう。さらば、さらば……」
 怪しい声の噂はたちまち広まって、花見客は絶えた。

 翌寛延二年、年貢増徴を契機として佐渡一揆が起こり、世情騒然として花見どころではなくなった。
 桜は年々枯れ失せて、今では昔語りに残るのみである。
あやしい古典文学 No.1062