岡村良通『寓意草』下巻より

大火の兆し

 享保のはじめ、筆者は江戸住まいで、家の向かいの山には、伝通院という寺があった。
 正月二十五日の午後八時ごろ、庭に出ると、寺の辺りから大きな燈火が現れて、北へ南へと動いた。やがて空へ昇って大きな星になった。それは芒星のように光った。
 こんなことが毎晩続いて、三月八日の朝十時ごろ、牛込から火が出て、強風にあおられ、千住辺りまで焼ける大火となった。
 伝通院の庭では、多くの人が焼け死んだ。亡骸を集めたら五百八十体あった。

 四年後の正月、今度は仙台の赤城山に、夜ごと燃える燈火を見た。
 二月十四日、青山から火が出て燃え広がり、赤城あたりで人が死んだ。
 火気が集まって燈となり、あらかじめ見えるのだろうか。

 同じ年の七月三日、朝早く起きた父が、「あれを見よ」と西のほうを指差した。
 真ん丸の月が、山の端にかかっていた。
 陰暦三日の早朝に月が残り、しかも満月だったのは、どういうわけなのか。
あやしい古典文学 No.1063