人見蕉雨『井窓夜話』巻之上「狐塚故事」より

狐塚故事

 寛文年間のこと、下総国の佐倉に一人の農夫がいた。暮らしの足しにするために、山林へ入って鳥獣を獲ることもあった。
 あるとき、猪・鹿を得ようとして掘った落とし穴に、子狐を連れた狐が落ちていた。農夫は子連れであるのを憐れみ、引き上げて助けてやった。

 その後、農夫は妻に先立たれて、何年も一人暮らしをしていた。
 そこへ、年のころ二十四、五と見える品のよい女が来て、やにわに涙を流して訴えた。
「わたしは、上総の東金あたりの者です。実母を亡くし、一緒に暮らすことになった継母は、わたしを嫌って、たいそう辛く当たります。先日、父が留守のおりには、毒を飲まされました。さいわい血を吐いただけですみましたが、この先どんな目に遭わされるかと思うと恐ろしく、ついに家を出て、ここまでさ迷い来たのです。どんな奉公でもいたしますから、しばらくここに居させてください。わたしをお助けください」
 もとより情け深い性質の農夫は、手を合わせて頼む女を可哀想に思って、わが家に置いてやることにした。
 女は、そこらの男にまさる知恵者で、何事によらず農夫の気持ちをくんで、骨身を惜しまず働いた。農夫もその真心を感じて、やがて女を妻とした。
 すると女は、一門一家のみならず、誰とも分け隔てなく交際した。近隣の人々と家族のように親しむうちに、農夫の家はしだいに富み、家産は昔の倍ほどになった。三年後には、一人の男児が産まれた。
 しかし男児は、生まれつき声に異常があった。父母はこれを悲しみ、仏に詣で、神に祈った。

 やがて妻は、夜な夜なこっそり家を出て、一時間ばかりして帰ってくるようになった。夫は気づかなかったが、隣家の者が見て、ひそかに夫に知らせた。
 夫は、密夫があると疑い、眠ったふりをして様子をうかがっていると、夜更け、妻は夫の鼻に手を当てて寝息をうかがい、そのあと家を出た。
 夫はあとをつけた。半里ばかり行ったところに、稲荷の祠がある。妻はその祠に詣でて、心を込めて拝む様子だった。涙を流して何か言っているが、声ばかり聞こえて言葉はわからない。
 『さては、我が子のことを祈っているのだな』と見ていると、森の中から三十くらいの男が出てきて、妻と親密に語り合った。そして、二人並んで神前に向かい、さっきと同様に熱心に拝むのだった。
 夫は大いに驚き、『まちがいない。密夫があったのだ。どうしてくれようか』と憤ったが、『一子もあることだ。軽はずみなことはできない』と自分を抑えて家へ帰り、門を固く閉ざして寝に就いた。
 しばらくして、妻の声が聞こえた。戸の前で泣いているようだ。夫はあえて応えなかった。夜が明けたときには声はなく、出て見るに、影さえなかった。夜になると、また声が聞こえた。夫はいよいよ固く門戸を閉ざして、決して開けなかった。それが七夜に及んで、ついに声がしなくなった。
 男児には他人の乳を与えて育てようとしたが、飲もうとしなかった。そのため、しだいに衰弱して今日明日の命となった。夫は今さらながらに、妻に真実を聞き質さなかったことを悔いた。

 男児は死に、墓に埋葬された。その墓から夜ごと、悲しみ泣く声がしきりに聞こえた。 夫は、妻が来て泣くのであろうと思って、ある夜、声のする方に呼びかけた。
「お前が密かに男と通じたのを憤ったがために、最愛の我が子を死なせてしまった。後悔しても、今さらどうにもならない。おまえは、ほかの男に淫した身でありながら、どうして夜ごと子の墓に来て、嘆き悲しむことができるのか」
 妻は応えた。
「わたしは人間ではありません。先年命を救われた狐なのです。あなたに恩返ししようと、かりそめに夫婦の契りを結びましたが、年月を重ねるに従い、報恩のために化したことを忘れ、まことの心で契って子を産みました。しかし、所詮わたしは畜類、産まれた子の声は、人の言葉を成すものではありませんでした。このままでは人間界の交わりがかなわないと悲しみ、せめて普通の人の半分でも物が言えますようにと、毎夜、稲荷の祠へ行って祈っていたのです。あなたに秘密を知られるのが怖くて、寝息をはかってひそかに出かけたのに、ついに露見して離別されたのみならず、畜類の身で人に交わって産んだ一子、無上の喜びであった愛児さえ失ってしまいました。昼となく夜となく泣きつづけても、死んだ子には再び逢えず、我が身も死んでしまったような気持ちです。今あなたに再会して、ただただ昔が懐かしく、涙があふれて止みません」
 夫も、短慮で離別したことをあらためて悔やみ、子が死んでいった光景を思い出して涙を流したが、
「おまえが夜中に出かけていくと、人が知らせてくれた。それで跡をつけたら、男が来て、おまえに寄り添って囁き、一緒に祈った。これが密夫でなくて何だろう。畜類と知った今、恨むことはしないが、我が子を死なせたのはおまえであって、わしではない。おまえは通力を失って、女狐の本性をあらわしたのだ」
と責めた。すると妻の声は、
「あの男は、わたしの昔の夫です。あなたに嫁したのも、もとはと言えば、あの者の考えからでした。一緒に稲荷に祈ったのも、子を思うわたしに同情してのことだったのです。わたしは、人と交合したために、全身が傷んでしまいました。まもなく死ぬでしょう。死んだ姿は、さぞ見苦しかろうと思います。願わくば、死骸を人目に晒さないで、命の終わりをきれいにしてください」と。
 夫は家に帰って、狐であった妻の心を思いやり、泣いた。

 四五日後、門の傍らに、犬ほどの大きさの狐が死んでいた。手足に酷い傷があって、齧られたように見えた。
 夫は、なにかゾッとして、そそくさと死骸を土中に埋めた。そこは狐塚といって、今も残っている。
あやしい古典文学 No.1070