虎巌道説『燈前新話』「荒井九兵衛奴七平作祟記」より

祟る七平

 荒井九兵衛は、父祖の家禄をついで六百石を領する武士だった。頑迷不遜の性格で、およそ人情というものを持ち合わせなかった。
 好んで人の肉を食った。のみならず、友人・知人を欺いて人肉を食わせた。処刑された者などの首を拾ってきて便所に掛け置き、人を驚かせたりもした。
 召使を殺すことなど平気で、彼らを使役するさまは苛酷を極めた。

 九兵衛は、常々漁猟を楽しみとしていた。
 天和二年七月十二日、先の藩主の命日であるにもかかわらず川漁に出かけた。
 七平という下僕に岸下の穴を探らせ、鰻を得ようとしたが、一匹も獲れなかった。
 九兵衛は罵った。
「どんな探り方をしているのだ。真面目にやれ」
 七平は言い返した。
「よくよく探っておりますよ、女の穴を探るみたいにね。それでも獲れんのですから、仕方ありませんがな」

 腹を立てて帰宅した九兵衛は、七平を縛り上げ、便所の傍らに繋がせておいた。
 おもむろにそこへ足を運ぶと、厳しく尋問した。
「さっきの言い草は何だ。もう一度言ってみろ」
 七平はもう一度言った。九兵衛は大いに怒った。
「おのれ、今すぐぶち殺してやる」
 七平も憤怒し、主人を睨み返した。
「殺したいなら殺すがいい。おれは三年の内に、必ずこの家を滅ぼしてみせる」
 七平は庭へ引き出され、斬られた。
 九兵衛の嫡子の三大夫および家来たちが、代わる代わる斬った。死骸はずたずたになった。
 首は、祟りを避けると俗説に言われる、門の閾(しきみ)の下に埋めた。七平が言い放った言葉と面つきが尋常でなかったことから、もしや祟りがあるかもしれぬと恐れたのである。
 そこまでして気が済んだのか、
「三大夫が初めて人を斬った。祝わぬわけにはいくまい」
 九兵衛は盛大な酒宴を催し、夜通し飲み明かした。

 その後、召使たちはみな七平の幽霊を見たといって、夜分に戸外へ出ることを恐れるようになった。
 ある夜、屋敷の西南の方角に四、五十人の声があって、一時にどっと笑った。それは屋敷外の者には聞こえなかった。
 これをきっかけに九兵衛は病みついた。
 いっこうに癒えず、重くなるいっぽうで、親族が集まって看病した。
 馬淵氏の母は九兵衛の姉で、佐藤勘兵衛は弟である。二人が部屋の窓の下に座っていると、夜半、屋敷が激しく鳴動した。
「地震だっ!」
と叫ぶ姉に、弟は、
「この屋敷は川辺に近い。きっと川風に煽られたのでしょう」
と言ったが、その直後、背後から引かれるようにして仰向けに倒れた。
 窓も壊れ、姉はいよいよ驚いて、病人のもとへ駆けつけた。病床に立てまわしてあった屏風は、先の家鳴りのときに三、四尺もずれ動いていた。
 そこへ三大夫も走ってきた。
「台所のほうに居たら、屏風の上から人の首が飛んできて、私にぶつかった」
 これには皆、恐れ呆れるばかりだった。
 別の日には、下僕の一人が病人の傍らで粥を煮ていると、蛸のような物が囲炉裏の吊縄を伝って下りて、鍋の中に入った。轟音とともに、鍋は真っ二つに割れた。
 その響きはあまりに物凄く、重態の病人が驚き目覚めて、
「なんの音だ」
と訊ねたが、下僕は、
「なんでもありません。板戸が倒れたのですよ」
と言ってごまかした。

 こうして九兵衛は死んだ。
 葬送のとき、棺を棺台に載せて担いでいくと、棺台の底が抜けて修理に手間取った。
 やっと寺に入り、墓の前に来たと思ったら、大石が倒れて墓穴に陥り、穴を塞いだ。数十人がかりで石を引き上げ、棺を下ろして、なんとか埋葬を終えた。
 三大夫が父のあとを継いだ。しかし、まもなく発狂して、嗣子のないまま早世した。
 荒井家は滅亡した。まさに七平の言ったとおりになった。
あやしい古典文学 No.1072