大郷信斎『道聴塗説』第二十編「妓女の不貞淑」より

逢いたくて

 新吉原江戸町二丁目、和泉屋平左衛門の抱え遊女である泉川は、名高い売れっ子で、この女に心を悩まし、身を誤る男も多かった。
 そんな男の中でも、成大寺の和尚はひたすらに懸想し、夜となく昼となく通いつめたが、泉川のほうはむしろ嫌って、随分つれない態度をとった。
 それでも和尚は、厭気がさす気配さえなかった。泉川は、何とかして遠ざけようと一計を案じ、今まで莫大な無駄遣いをして金はもうないはずだからと、大晦日の朝、急に「どうしても入用な事情があるので、金子百両を貸してほしい」と手紙をやった。
 すると昼過ぎに、和尚が頼みどおりの金子百両を持ってきた。せっかく考えた計略も功を奏さず、どうしたものかと思い悩んだ末、修験者を雇って足止めの祈祷をさせたりした。
 その効験があったのか、ある日、和尚が来て、さめざめと泣いて言った。
「君との契りもこれまでとなった。悲しくて堪らない。出家の身でありながら君の情けに心惹かれたあの日以来、破戒僧となって多額の借金を重ね、寺の諸道具・什物まで売り払った。もはや檀家も見逃してはくれない。江戸に住むこともできかねて、遠い伊豆に引き篭もるしかなくなった。もう君には逢えないかもしれない」
 和尚は、くどくど言っては泣くことを繰り返したあげく、別れを惜しみつつ帰っていった。

 泉川は、和尚がいなくなったことを喜び、ほどなく、わが心にかなった情人に身を任せた。
 ところがその後、泉川は夏時分にふと病の床につき、医者の治療も効果なく、日ごとに重くなっていった。
 何かの祟りかもしれないと思って、巫女を呼んで口寄せしたところ、恐ろしや、伊豆へ去った和尚の生霊が憑いていたのだった。
 それならばと、巫女に多額の礼金を払って魔除けの祈祷を行ったが、つゆほども効果がなかった。巫女が言うには、
「和尚は、つれなくされたことや、金銀を無駄に費やしたことを怨んでいるのではありません。遠国にいて逢うことができないで、朝の雲を見るにつけても、夕べの雨を眺めるにつけても、恋慕の念が幾倍にもつのり、やるせなさのあまり、生霊となったのです。魔除けが効かないのは、相手に邪悪な気持ちが微塵もないからでしょうね」と。
 泉川は日に日に病み衰え、八月の末、ついに死んでしまった。亡骸は、菩提所の三田小山長久寺に葬られた。
あやしい古典文学 No.1082