古賀侗庵『今斉諧』巻之二「熊殺群狼」より

熊さん激怒

 薩摩の足軽が、藩の用向きで江戸へ向かったが、日向の深山を通るとき、日が暮れてしまった。
 夜道を苦労しながら歩いていると、一頭の狼に遭遇した。それを叩き殺したら、今度は三四頭まとめて出てきた。それらもどうにか倒すと、何百何千とも知れぬ狼が続々と現れた。
 群狼の咆哮に取り囲まれ、足軽は戦う気力も萎えた。なんとか逃れるすべはないものかと辺りを見ると、傍らに大きな松の木があったので、これ幸いとよじ登った。
 狼は、いちばん前方のものが幹に取り付き、その後ろが前のものの股に首を入れて持ち上げ、そのまた後ろも股に首を入れて持ち上げ……、という具合にして徐々に高く上り、樹上の足軽に迫った。
 足軽は、肉薄する狼を斬り殺した。しかし斬っても斬っても、その下の狼がせり上がってくるので、きりがない。
 疲労困憊して、さらに高みの枝へと逃れ、ふと横を向くと、見慣れない顔が間近にあった。何者だか知らないが、巨大な眼が雷の光るごとくに輝いて睨みつけている。
 いよいよ進退窮まった足軽は、とっさに刀でその者を刺した。刺された相手は枝上で跳ね回り、転げるように地面に飛び降りて暴れ狂った。
 狼たちは驚いて逃げ散った。足軽が木の上から見たところでは、月明かりのもと、無数の狼の死骸が転がり、地面は臓物や脳漿にまみれていた。

 これは、樹上の巣で寝ていた熊が、突然刺された痛みに激しく怒って、狼を手当たりしだいに掴み裂いたのであろう。
あやしい古典文学 No.1083