人見蕉雨『井窓夜話』巻之中「三獣奇事」より

三獣奇事

 元文のころ、出羽国河辺郡岩見村の百姓弥左衛門の家で、狐と狸(むじな)と猫を、それぞれ一歳にならないときから同じ所で飼い育てた。
 はじめは異類どうしだから互いにいがみ合って近寄らなかったが、月日がたつにつれて馴れ親しみ、ものを食うときにも譲り合うほどになった。家人にもよくなついて、尾を振る小犬のようだった。
 しかし、そんな中でもおのおのの性情があらわれて、人がいないときには物陰に入って、種々の芸を尽くした。
 狸は襖に前足をかけて立ち上がり、後には二本足で自由に立ち歩いた。
 猫は箸の真ん中を口にくわえ、両前足を箸の両端にかけて首を上げると、自然と立ち上がって踊った。猫は普通に家で飼う生き物だが、狐狸の仲間になったため、こういう妖しい業をなすようになったにちがいない。
 狐は暗がりで火を燃やすことがあった。そうして手招きなどをすると、二三歳の小児が乳母を慕うかのように笑って近寄っていったが、小児には何が見えたのだろうか。

 後々は家人もすっかり気味悪くなり、恐ろしくもなって、捨てようとか殺そうとか言い合った。しかし主人の弥左衛門は、自分が可愛がって飼育しているものだから許さなかった。
 四五年して弥左衛門が病死すると、狸はどこへ行ったのかその日から姿を消した。残った狐と猫については、「殺そう」と言う者が多かったが、「弥左衛門が生前に大切にしたものだから、命はとるべからず」という話になって、岩見の山奥に放してやった。
 それからというもの、山中で人が行方不明になる事件が相次いだ。旅人ばかりではなく、地元の子供や老人まで化かされ、殺されることがあった。

 岩見山の里に、兵太郎という木こりがいた。
 あるとき山中で夜更けまで働き、路傍で煙草を吸って休息していると、はるか向こうの山から、
「兵太郎、兵太郎」
と呼ぶものがあった。
 その声が次第に近づくので、兵太郎は大きな古木の陰に身を隠した。そこから月の光に浮かび上がるものをすかし見ると、年を経た狸が、人のように二本足で歩いて来るのだった。
 狸は隠れている兵太郎に気づかないらしく、なお名を呼びながら、向こうのほうへ歩いて行く。したたか者の兵太郎は、狸の背後に忍び寄り、手にした斧を頭にはっしと打ち下ろした。狸はあっけなく即死した。
 翌朝、明るみの中で見ると、いかにも怪しげな大狸が、藤葛を腰に巻いて帯とし、桜皮製の大きな袋を下げて死んでいた。何に化けようと思ったのだろうか。下げた袋は、その八年前に山中で行方知れずになった五郎太夫という木こりの持ち物だった。

 また、宝暦の初めのこと。
 介川某という小身の侍が、徴税役人として、岩見の山下の役所に駐在した。その役所は、訊ね来る人が誰もいないような寂しいところだった。村から一人、飯炊きの男が来るが、それも夜には帰ってしまい、あとは役人が独りでいるのだった。
 風雨の晩、介川が寂しい物思いにふけっていたら、台所のほうで、誰か来たような物音がした。耳をこらして聞くと、身震いして濡れた体をはたくような音だった。
 犬などが入り込んだのかと思ったが、入口の戸を開けて姿を見せたのは、だいぶ前に帰ったはずの飯炊きだった。
「何か用があって戻ったのか」
「いえ、旦那。あんまり雨が降って寂しい夜ですから、話し相手でもしようかと思いまして」
 介川は、不審をいだきながらも呼び入れた。種々の話をするかぎりでは、いつもの飯炊きに違うところはないようだ。
 そのうち夜も更けたので、寝床に入り、脇差と火打箱を布団の下に隠した。脇差は抜き身で置いた。
 寝たふりをして、密かに夜着の袖から窺い見れば、飯炊きが何か捜し回っている。どうやら火打箱を捜すらしい。見つからぬまま、こんどは囲炉裏の火に水をかけたが、そのとき既に顔が猫で、姿はまだ人だった。
 介川が寝たふりをして窺うのを知らず、猫は火を消し終わり、
「旦那、旦那」
としきりに呼んだ。応えないので熟睡していると思ったか、行燈の火を消し、介川の上へどっと襲いかかった。
 ここぞとばかりに、介川は布団ごと撥ね返して、布団に巻かれてもがく猫を、上から抜き身の脇差で、さんざんに突き通した。猫はなすすべなく、ただキャッ!キャッ!と大騒ぎして死んだ。
 火をともしてみると、多くの年を経た猫又だった。それは、かつての弥左衛門のところの猫で、捨てた年から数えて十八年たっていた。
 弥左衛門方にあのまま飼われてあったら、どんな怪事をしでかしたか知れないと、人々は言い合った。また、介川も不用意にうろたえたら必ずやわざわいに遭ったろうに、落ち着いた振るまいだと、みな感心したのだった。

 狐はどうなったのか。
 これについては、行方が分からないままらしい。
あやしい古典文学 No.1090