古賀侗庵『今斉諧』補遺「怪婦」より

怪婦

 伊豆国三島の某氏は、近隣の家の美貌の娘を、我が子の嫁にしたいと望んだ。
 子はいまだ年少であったから、まずは娘を養女として迎え、長ずるに及んで二人を結婚させた。
 ところが、結婚後いくばくもなく子は痩せ衰え、骨と皮ばかりになった。父親が心配して、密かにわけを尋ねると、
「あの女が一緒にいるかぎり、この病は癒えません」
と言う。そこで父親は、すぐに嫁を追い出した。

 女は江戸へ出て、品川の商家に女中として住み込んだ。
 やがて近所の商人の息子が、女の美しさに魅せられて、妻にしたいと願った。父母は反対したが、息子の恋情を制することができず、女を嫁に迎えた。
 するとまもなく、息子は甚だしく衰弱してきた。その様子は、三島の某氏の子と同じだった。
 両親は、なにゆえに憔悴するのかと尋ねた。
「あいつのせいです。あの女といたら、私はいずれ死んでしまう」
 息子がこう訴えるのを聞いて、両親はついに嫁を放逐した。

 女が去っても、商人の息子はなお体調がすぐれず、鬱々と塞ぎ込みがちだった。
 そんなとき、熱海へ転地して静養してはどうかと勧める人があった。山水の間を逍遥して過ごせば、おのずから憂いも散じるのではないかと言われてその気になり、旅支度して出立した。
 三島に知人があったので、行きがけに足を伸ばしたが、その人はあいにく不在で、家人が応対した。
 すでに日が落ちた時分でもあり、よく知った間柄だからと、家人は中に迎え入れて、楼上の一室に泊めてくれた。

 その夜半、不穏な風がしきりに吹き渡った。冷気が床の中まで沁み込んで眠れないでいるとき、ふと戸外から、地を穿つような音が聞こえてきた。
 窓を少し開けて窺い見ると、隣は墓石累々たる墓地だった。そこで何者かが、一つの新墓を暴いていた。と見るうち、たちまち屍体を引きずり出し、臍に口を付けて死者の髄を吸った。
 はっと息を呑み、月光を頼りにさらに熟視したら、その者はなんと、しばらく前に我が家から放逐した女だった。ここにいたって恐怖に堪えず、がくがく震えながら階下へ降りると、そのただならぬ顔色を見て、家人がわけを尋ねたが、あえて何も語らなかった。
 階下にいて少し落ち着くと、急に便意を催した。そこで厠へ入ったところ、誰かがあとから来て厠の戸を叩いた。しきりに咳払いをしながら叩き続けるので、やむをえず戸を開けると、戸口にいたのは、先ほど墓を暴いていた女だった。
 悲鳴を上げて逃げ走り、驚いて駆けつけた家人に見たままを告げた。
 家人は燭をともして見回った。すでに女の姿はなく、椽(たるき)の上に足跡が見つかった。それは、人間の足跡とは似ても似つかないものだった。
あやしい古典文学 No.1092