『因幡怪談集』「法美郡しやく山城主の事」より

城主の娘

 鳥取藩で御台所御煮方を勤めた某は、奥州仙台の生まれであった。若い頃に御台所に出仕してより長年勤め、参勤交代にも数度お供した。
 誠実で行き届いた奉公ぶりにより、上役たちの引き立てがあって、御頭料理人となった。その後も勤めて老年になったので、江戸勤めを免除され、帰国を許された。
「ありがたいことでございます。江戸御奉公もこれまでですので、一度ふるさとの仙台を訪ね、親族に暇乞いをしたいと存じます」
 某はこのように願い出て、四十日ばかりの休暇をもらった。

 仙台へ行くと、親類たちに対面し、ゆっくり逗留した。また、某が幼少のとき初めて奉公に出た武家があって、その恩義を思い出して訪ねて行った。
 玄関で案内を請うと、さっそく主人が、
「おお、ひさびさに、よくぞ訪ねてくださった」
と言いながら出てきて、座敷に招き入れ、四方山の話が数刻に及んだ。料理など出して馳走し、
「立身なさったとは言いながら、おまえ様も老人ゆえ、因幡へ下ってしまうとなれば、対面もこれ限り…」
と盃を取り交わして、しみじみと別れを告げて涙を流した。
「拙者の妻も、お目にかかりたいと申します」
とのことで、某は辞退したけれども、主人は聞き入れず、さらに奥のほうへ通した。六百石取りの武家とあって、家は広く、下人も多く召し使っているのだった。

 やがて内室が出てきて、丁寧に挨拶した。そして言うことには、
「はじめてお目にかかりますが、あなた様のお噂は、かねてより承っております。このたびは御主君の御供にて、因幡へお帰りとのこと。因幡と聞けば、わたくしにも懐かしい思いがございます。そのことで、突然で失礼とは存じますが、お願いしたいことがあるのです。お聞き届けいただけますでしょうか」
「たやすいことです。因幡への御用なら、何であれ私に出来ることであれば、お引き受けいたしましょう」
 某が快く応じると、内室は喜んだ。
「それではお頼み申します。わたくし元々は因幡の生まれなのですが、鳥取の御城下には、大きな池がございましょうか」
「城下から一里ばかりのところには、池も幾つかございます。どの池のことですか」
「その池の上に、爵山という城の跡があるはずです。きっとご存知かと…」
「爵山は知っております。しかし、その辺りに池はありません。近辺はみな山野で、卯垣という村がございます。また、滝山というところもございます」
「なにぶん四五歳のときのことで、はっきりいたしません。年月を経た今となっては、池のことをかすかに覚えているものの、その池ももう平地になったかもしれません」
 ここから、内室は自らの数奇な身の上を語った。

「わたくしは、その爵山の城主の娘なのです。あるとき、幼子のわたくしが乳母に抱かれて近辺の山へ遊びに行きましたら、大木の根方で三四人の老人が碁を打っておりました。傍へ寄ると、老人が『おお、これはよい子じゃ』と頭を撫でて、『しかし、短命だな。かわいそうに』と、手元の小徳利の酒を盃に注いで飲ませてくれました。その酒の甘かったこと、今も忘れません。
 その夜、城は敵の奇襲に遭って落ち、みな散り散りになりました。わたくしは乳母に抱かれて逃れ出て、父母とは別れ別れになって、それっきりです。
 やがて京都のあたりで暮らそうとしましたが、なにぶん乱世の頃で、住む所も定めがたい。諸国を巡って、遠江の国にしばらく足を留めました。しかし、そこも騒がしくなり、奥州は平穏だと聞いて、仙台までたどり着いたのです。諸国放浪の間に乳母は亡くなり、独り身になって、この地に落ち着いて、どれほどの歳月がたったでしょうか。夫に添うのも、もう幾人目か知れず、自分の齢も何百歳になるか分かりません。
 思えば不思議なことです。子供はずっと生まれず、いつまでもご覧のように二十歳くらいに見えて、年寄ることがありません。今の夫も、はや四十年来の夫婦です。わがことながら、ただただ不思議でなりません。」

 話は再び、内室の頼みごとに戻った。
「さて、あなた様へのお願いでございます。わたくしが昔の因幡爵山城主の娘だとは、乳母に聞いて忘れずにいるものの、ほかには何も知りません。せめて先祖を供養したいと思うのですが、その爵山近くに寺はございませんか」
「近辺にはありません。そこから半里ばかり行った滝山という所に、光清寺という律宗の寺があります」
「では、その寺へ、供養料として金子を供えたいと存じます。届けてくださいますでしょうか」
「簡単なことです。お引き受けしましょう。因幡に帰ったら、早々に寺へ届け、金子受取証文を貰って、お返事いたします」
「かたじけのうございます。金子五両、包みおきましたので、これをお願い申します」
 某は金子を受け取り、そのあと色々と馳走にあずかり、暇乞いをして帰った。

 江戸へ戻り、殿様のお供をして因幡へ帰ると、滝山に金子を届け、受取手形を手紙につけて送った。
 その後のことは知らない。某は七十歳あまりにして、因幡で命を終わった。
あやしい古典文学 No.1094