林羅山『幽霊之事』「憑大異」より

憑大異

 中国の元代末、呉と楚の境界あたりに、憑大異という者がいた。
 この者は、自らの才知を頼んで鬼神を信じなかった。草が祟りをなすとか、木が災いをなすとか、そのほか人を脅かし耳を驚かす類の怪しい物語を聞くと、必ずけちをつけて嘲笑し、そうしたものの祠を焼いたり、像を壊して捨てたりした。
 それで憑大異は、人々に「胆の太い人だ」と一目置かれていた。

 あるとき憑大異は、わけあって近くの村まで行った。
 ちょうど戦火の後で、村は人家もまばらとなり、砂の上に白骨が散乱している有様だった。
 そのうち日が西に傾き、とともに黒雲が立ち起こったが、そのあたりに身を寄せる宿屋もないので、道の傍らの柏の林に駆け込んで、しばし休息した。
 梟の不吉な声が喧しく聞こえ、狼の群れの吠える声もした。たくさんの鳥が来て、足をばたつかせて鳴き、しきりに羽ばたいて舞った。よく見ると、八つ九つの死骸が、周囲に転がっていた。
 にわかに激しく風が吹き、驟雨が降りつけ、雷鳴が轟いた。そこらの死骸がいっせいに起き上がり、憑大異が木の下にいるのを見て、猛然と襲ってきた。
 憑大異は、慌てて木に登った。死骸どもはその下を駆け巡り、大声で、
「必ずこいつを殺すのだ。さもないと、我らも咎めを受けるぞ」
とののしり騒いだ。
 やがて雲は晴れ、雨もやみ、月の光もほの見えた。
 頭に二つの角を持ち、全身青色の夜叉がやって来て、かの死骸どもを掴み取り、頭を捻じ切って喰らった。そのさまは、あたかも瓜を喰らうかのようだった。
 全ての死骸を食い終わると、満腹したとみえて、その場に横になって眠った。もの凄いびきが聞こえはじめた。
 憑大異は、『こんな所にいつまでも居てはならない』と思い、夜叉が眠っている隙に木を降りて、密かに逃げだした。

 気づいた夜叉が矢を射かける中を、命のかぎりに走り、一つの荒れ果てた寺に行き着いた。
 中の仏殿の上に、仏像がある。その顔がなんだか気味悪かったが、背中に穴があるのを幸いに、ともかく身をすくめて穴に入って仏の腹に隠れ、『これはよい場所があった』と一安心した。
 すると、仏像が腹鼓を打って笑い出した。
「夜叉はこいつを食おうとして逃げられたのに、俺のところへは、こいつのほうからやって来た。今夜、ほかの食い物はいらない。こいつを点心にして食おう」
 ただちに憑大異を取り出し、あわただしく寺から駆け出そうとした。ところが門の敷居に躓き、仏像は地面にどっと転倒した。

 憑大異は這う這う逃れて、はるか遠くを望めば、野の中に灯火の光が輝き、人々が居並んで座っているようだ。
 喜んで急ぎ行ってみたら、みな頭のない者たちだった。たまたま首があると片腕がなかったり片足がなかったりした。
 慌てて走り戻ろうとしたが、あまたの異形の者どもは怒って、
「我らが集まって遊んでいるところを、騒がしく邪魔する憎いやつめ。つかまえて切肉・干肉にしてしまえ」
と走り叫びつつ、牛の糞を投げ、人の骨をぶつけた。
 運よく一つの川があって、憑大異は水を渡り越えて逃げ、追手は渡らずに引き返した。しかし、しばらく喧しい喚き声は止まなかった。

 逃げ行くうちに月も隠れて、道筋がさだかに見えなくなった。足元がおぼつかなく、躓いて、どこかの穴の中に陥った。
 深い深い穴の底は、たくさんの鬼が集まる谷だった。赤い髪に二本の角がある者がいた。緑の毛に二枚の羽がある者もいた。鳥の嘴を持つ者も、牛の頭の者もあった。いずれも身は藍染のように蒼く、口から火焔を吐いた。
 鬼どもは、憑大異を見つけて、
「我らの仇敵が来たぞ」
と喜び、首と腰に縄をつけて鬼の王のところへ連行した。
「こやつは、人間界にあって鬼神を信仰せず、さんざん悪口を吐いた者であります」
と報告すると、鬼の王は怒って問責した。
「昔からの書籍にも、鬼神の徳について多く書き記されてある。おまえは、なにゆえ口に任せて我ら一統を辱めるのか。今、ここに対面した以上、おまえを容赦しない」
 そして大勢の鬼どもに命じて憑大異の衣冠を剥ぎ取り、笞打たせた。
 憑大異は血まみれになって、
「もう耐えられない。いっそひと思いに殺してくれ」
と頼んだが、それを許さず、身体を石の床の上に何度も叩きつけては、ひたすら擦り延ばした。起こされたときには、丈十メートルほどの竹竿のようになっていた。
 次には、石の床の上で頭から揉み潰したので、骨節が裂け折れるような音がした。入念に潰してから抱え起こしてみると、背の低いこと三十センチばかり。のそのそ地を這う様子は蟹そっくりだった。
 傍らにいた年寄りの鬼が笑った。
「憑大異よ。おまえが鬼神に無礼だったから、こんなひどい目に遭うのだぞ」
 そして、もろもろの鬼に向かって、
「これだけ散々に痛めつけたんだ。もう許してやろう」
と言い、憑大異を引き立てると、たちまち元の身体の形に戻った。しかし、
「人間界に帰りたい」
と言う憑大異に、鬼どもが言うことには、
「おまえをただでは帰さない。我らがめいめい土産を持たせ、世上の人に鬼が本当にいることを証明して、信仰させるのだ」
 ここにおいて、ある鬼は二本の角を憑大異の額に取り付けた。別の鬼が鉄の嘴を唇に挟むと、それは鳥の嘴になんら異ならなかった。さらに、赤い水で頭を染められ、髪の色が火のようになった。二つの青玉を目に埋められて、目の色が緑になった。
 そのあと、鬼どもは憑大異を穴の外へ放り出した。

 憑大異は、がっくり力を落として鬼の谷を出た。角が生え、嘴が尖り、髪は赤く、目は緑の、恐ろしい鬼の姿と化していたからである。
 家に帰れば妻子も見分けてくれず、町へ出れば皆が「怪物だ」と見物に集まる。子供は驚き泣いて逃げていく。憑大異は悲憤慷慨し、ついに絶食して自ら死んだ。
 家人には、次のように言い残した。
「わしは鬼どもに苦しめられ、もはや死ぬしかなくなった。残念でならない。わしの墓に、紙筆をたくさん入れてくれ。天帝に訴えるつもりだ。やがて一つの不思議なことが起こるだろう。そのときは、わしの願いがかなったと思って、酒を注ぎ、喜んでくれ」と。

 三日の後、日中に突然風雨が起こって、暗雲が空を覆い、雷が鳴り轟いた。家の瓦は飛ばされ、大木も抜け倒れ、一夜を過ぎてやっと天気が晴れた。
 かつて憑大異が落ちた鬼の谷は崩れて、大きな沢となり、数里の外へ流れ広がる水の色は赤かった。
 そのとき、憑大異の墓の棺の中から声がした。
「わしの訴えに理があったので、もろもろの鬼は残らず退治されて滅びた。天帝はわしが正直なのを褒めて、太虚殿の司法という官職をお授けになった。この務めはたいそう重いので、二度と再び人間界へ来ることはないだろう」
 家人は急ぎ墓へ向かい、憑大異を祭って厚く葬った。
 以来その墓は、だれでも行って祭ると、霊験があるということだ。
あやしい古典文学 No.1096