古賀侗庵『今斉諧』巻之三「人丸像」より

執念深い大歌人

 播州明石に、古代の大歌人 柿本人麻呂をまつった「人丸の祠」がある。
 そこの蔵に収められた人丸の像は、古くから伝わるもので、人が立ち入って拝むことは許されない。もし蔵に入れば、必ず祟りを受けるといわれている。

 長野某という小田原の侍は、たいそうな豪胆者だったので、祟りを恐れず蔵に入って像を見て、そのうえ手で撫で回した。
 像の肌は、生きているかのように温かかった。長野某は驚愕して蔵から飛び出し、その後まもなく死んだ。
 それだけではすまず、長野某の子孫は六代続けて早死にした。誰一人数え年で四十歳になることができなかった。
 しかし、七代目の子孫に至って、ついに四十歳を目前にした。その者は大晦日の夜、親族・姻戚の者に宣言した。
「我は今日まで生きることができた。身体に病気ひとつないから、死なずに明日の朝を迎えるのは間違いない。明日になったら、山ほど肉を仕入れ、大池を満たすほど酒を買って、みんなに振る舞おう」
 その夜半、まったく何の病でもなく、突然死した。
あやしい古典文学 No.1097