『因幡怪談集』「出来薬師町、怪有し事」より

氏子のピンチ

 享保のころ、鳥取の出来薬師町に、夫婦と娘一人の家族が住んでいた。
 夫婦とも忙しく働いて留守がちで、家に娘が一人でいるとき、知り合いの者が来て声をかけた。
「なあ、おまえさん、伊勢へ参宮したいとは思わないか。もし参りたいなら、ちょうどよい連れが四五人ある。皆おまえさんのような十四五歳の娘たちだ。路用の金銀も、心配いらない。わずかばかり持っていれば、行って帰ることができる」
 娘が喜んで、
「伊勢参りは前々からの望みで、少しの用意ならあります。ずっと『一緒に行く人がいたらいいのに』と思っていましたが、そんな話がなかったので、これまで叶いませんでした。いつごろ参られるのですか」
と尋ねると、
「あさっての朝早く出立する。もっとも、連れの娘たちもみな親には内緒の抜け参りだから、こっそりと出かけるのだ」
と言う。
「ではわたしも、そのようにいたします。ただ、母にだけは相談して、その上で行くかどうか決めたいです」
「それなら、明日じゅうにわしのほうへ、どうするか知らせてくれ」
 こう言い置いて、その人は帰っていった。
 やがて母親が帰ったので、娘はありのままを話した。すると母親は、
「おまえの久しい望みではないか。連れも確かにあるならば、行くがよい」
と喜んでくれた。
「父さんはなかなか許すまいから、言わないでおこう。神参りのことだから、あとで話しても罰は当たるまい」
と親子で談合し、先の知り合いのところへ行って、細かいことを打ち合わせた。
 出立の日の早朝、同年くらいの娘が四人、連れ立ってやって来た。ちょうど父親は留守で、皆は「最初から運がよい」と言い合って、嬉しげに出かけていった。
 やがて父親が帰って、娘のことを尋ねたが、母親がわけを話すと、
「そのように連れが大勢いるなら安心だ」
と言って快く許した。
 当時は、こうした抜け参りが、各地で流行ったのである。
 それから十二三日過ぎた日のことだった。
 近所の者が、地元の大森神社の近くへ畑仕事に行ったところ、十四五歳の少女が倒れていた。そばに寄ってみると、よく見知った隣家の娘である。驚いて名を呼んだが、返事もせず、息絶えた状態だった。
 抱き起こしてみるに、死んではいなかったから、かかえて親元まで連れ帰った。
 両親もたいそう驚いて、水だ薬だと介抱すると、やっと息を吹き返した。しかし、目は動くけれども、一言もものを言わない。湯漬飯などすすめると、少し食べた。とにかく命は助かったと一安心し、布団に寝かせた。
 二三日過ぎて、娘はようやく人心地がつき、我が身に起こったことを語った。そのあらましは、次のようである。
     *    *    *
 娘は鳥取を発って後、道中で足を痛めて難儀した。
 連れが代わる代わる世話をして、なんとか大阪までは行ったが、銭は使い果たし、足は立たないので伏してばかり。しばらくは付き添ってくれていた連れも、あまり日数が過ぎるので、ある夜、娘を置き去りにして伊勢へ向かった。
 独り残った娘に、宿の亭主はなにかと親切だった。何日かして、どうにか足の具合がよくなると、知らない人が宿に来て、「しばらくはどこぞ奉公先に世話する」と言った。
 その人は、娘を伴って帰り、十分に食事をさせた。衣装も見苦しいからと、よい袷(あわせ)に着替えさせてから、どこへ行くとも言わず駕籠に乗せた。
 しばらくすると、大きな薮の内の家へ着いた。そこの主人と思われる四十歳くらいの男が出てきて、
「よく来た。こちらへ入るがよい」
と、奥の間へ連れて行った。そこへ女どもも出てきて、
「さてさて、お疲れであろう」
などと口々にいたわった。そのあと、けっこうな料理も出て、娘は、『当分の間の奉公という話だったのに、待遇がよすぎる。どういうことだろう』と戸惑った。
 夜になると、今度は夜食が出た。給仕の下女はことのほか親身になってくれて、娘の顔を見ながら涙をこぼした。不審に思っていると、その下女がそっと囁いた。
「何も知らないで…、不憫な子だ。今夜のうちにここを出て、どこへなりと逃げるがよい。あと二三日はこのようなもてなしがあるが、そのあとは閉じ込められ、身の油を搾られる。今まで六七人も締め殺されたんだよ。夜が更けると戸口がみんな閉まって出られないから、今すぐ、こっそり大戸口まで行きなさい。門前に小川があるから、川沿いに下のほうへ向かって走りなさい。くれぐれも見つからないように」
 下女は細々と教えて、膳を持って下がった。
 娘は恐ろしさに慄きながら、やっとのことで抜け出して、見ればたしかに門前に小川がある。川下のほうへ夢中で走った。
 その夜は雨降りの暗夜で、方角も知れないまま、とにかく足に任せて走ったが、後ろからは男四五人の声がして、提灯を持って追ってくるのだった。
 追手ははや間近まで迫り、隠れる場所とてない。右のほうに土橋があって、『渡ろうか』と思い、『いや、そんなことをしても追いつかれる』と考え直して、橋の下へ身をかがめた。
 ほどなく追手が来て、
「橋を渡ったのかな」
「どうだろう。足跡を見ろ」
などとひとしきり騒いでから、二手に分かれて行き過ぎた。
 娘は『ああ、よかった』と安堵したが、『戻ってきて、橋の下を捜すかもしれない』と思って、そこを出てまた川下のほうへと走った。
 すると、だしぬけに一人の大山伏に出会った。
「お助けください。しかじかのわけで追われています」
と必死に頼むと、山伏は、
「うむ、うむ、かわいそうに…。助けてやるぞ」
と言って、娘の帯の背中を掴み、両手で引っ提げて
「そら、行け」
と虚空に放り投げた。
 その後のことは、娘の記憶にない。
     *    *    *
 話を聞いて、両親は語り合った。
「不思議なことだ。その山伏は、きっと当地の大森大明神にちがいない。『氏子あやうし』と見て、お助けになったのだ。まことに有難いことだが、このことを公儀に申し上げたら、むずかしい御詮議があって、我々は言うに及ばず、多くの人に迷惑がかかる。何もなかったことにしよう」と。
あやしい古典文学 No.1100