『奇異怪談抄』上之下「李琯」より

異香の女

 唐の元和年間のこと。
 李琯(りかん)という者が、永寧里という所から安化門外へ向かう道筋で、一台の車が通るのを見た。
 銀の飾りのある、たいそう美麗な車で、白い牛が牽き、白馬に乗った美しい女が二人、車に従っていた。李琯は権勢を誇る高官の子だったので、怖いもの知らずで、あとをつけた。
 やがて日が暮れようとするとき、騎馬の女が言った。
「今ご覧になっているわたしたちは、卑しく醜い者です。本当に美しいのは、車の中の御方ですよ」
 李琯が、
「それなら、是非お会いしたい」
と言うと、女は馬を早めて車に近づき、何ごとかを話したようで、笑って李琯を振り返った。
「車の内へは、もうお伝えしました。ついていらしてください」

 李琯は喜んでついて行った。車の方から芬々たる異香が漂って、うっとりと酔いそうであった。
 日が暮れたころ、奉誠園に至った。女が言うことには、
「車中の御方は、この東にお住まいです。あなた様はここでお待ちになってください。少ししたら迎えに参ります」と。
 馬を止めてしばらく待つと、女が門から出てきたが、その身を包むよい香りは、まったく世の常のものではなかった。
 李琯は、自分の従者に近くの安邑里へ馬を牽いて行って泊まるよう命じてから、女に案内されて中に入った。
 夜が更けて、齢十五六ばかりの白衣をまとった麗人が出て来て面会した。李琯はもはや夢心地で、女と睦んで一宿した。
 夜が明けて外へ出ると、従者と馬が門外で待っていたので、暇乞いして帰途についた。

 家に帰るやいなや、李琯の脳に激痛が走った。しばしの間にますます痛みを増し、午前十時ごろ、脳が破れ裂けて死んだ。
 家人が驚き集まり、
「昨夜、病の生ずる場所へ行ったにちがいない。どこへ行った」
と尋ねると、従者は詳細に答えたうえで、
「若様は、異香がするとかで喜んでおられましたが、私が嗅いだのは、我慢ならない生臭いにおいでした」
と言った。
 家人は急ぎ人手を集め、従者の案内で昨夜の場所へ行ってみた。
 そこには、枯れた槐樹の中に大蛇がとぐろを巻いた跡があった。枯木を伐って地面を掘り返すと、大蛇はすでに逃げて姿がなかったが、多数の小蛇がいた。人々はそれを皆打ち殺した。

     *     *     *

 『説淵』にも、蛇が化して女となったものにたぶらかされた人の話がある。
 その人は、家に帰って病に伏し、ものを言いながら、布団の中で体が冷ややかになって消え失せるのを覚えた。
 異状に気づいた家人が布団をめくって見たときには、ただ水が溜まり、その人の頭ばかりが消え残っていたのだった。
あやしい古典文学 No.1106