人見蕉雨『井窓夜話』巻之中「狐精悔言」より

千年狐

 越前三国の山里に、元正寺という浄土宗の寺があった。
 その昔からずっと貧乏寺で、門内は荒れ果て、石碑も五輪も苔むして、いつしか野狐の棲みかとなり、風雨の夜には行く人もなかった。
 それでも代々住職がいて、寺は時々、わずかに雨風を防ぐばかりの補修がなされた。享保のころの住職は信濃の人で、篤実にして律儀な和尚であった。

 ある年、和尚は、本山の役目で京都へ上ることになった。
 旅の支度を調えて、明日旅立とうというとき、竹縁の下に年のころ三十あまりの田舎男が来て、和尚に向かって平伏した。
「私は、このお寺の内に棲んで千年を経た狐でございます。いまだ時至らぬため野狐の身でありましたが、今年はついに千年目。位を受けに行く時を迎えました。ところが、困ったことに足を痛めて歩くのがつらく、遠国への旅ができません。和尚の親切なお人柄にすがってお願いいたします。明日京都へご出立とのことですが、なにとぞ、私に代わって位を受けてきてください。そうすれば、世間の信仰も集まって、自然に寺も繁盛し、立派になっていくでしょう」
 和尚は、たいそう驚いた。
「思いもかけないことだ。千年の狐の話など、はじめて聞いた。もし、おまえの言葉がまことなら、引き受けるのは簡単なことだが、人間が狐の代理で位を受けても、差し支えないのだろうか」
 すると男は、袱紗に包んだものを差し出しながら、
「それは少しも問題ありません。では、手順を申し上げましょう。紀州名草郡の深井村というところへ行くと、大昔からある王子の稲荷の社が見つかります。そこの第三の鳥居の下で案内を請えば、誰か出てくるはずです。その者へ、この包みをお渡しください。これは、私が千年を経たことを証明するものなのです。やがて、先方からも包み物を呉れますから、決して開けて見ずに、そのまま持ち帰ってください。それと、社へおいでの節は、ぜったいに他の人を同伴しないように願います。お留守の間、お寺のことはちゃんとお守りしますので、ご安心ください」
と言う。
 和尚は頼みを引き受けることにし、包みを受け取った。男は嬉しげに一礼し、竹縁の下で背を向けたかと思うと、そのまま姿がかき消えた。

 和尚は怪しく思いながらも、包みを懐中に収め、翌朝、寺を出立した。
 旅の日を重ね、寺の用も片付いたので、紀州へ向かい深井村を訪ねると、かの男の言ったとおり、樹木生い茂った中に古めかしい祠があった。
 第三の鳥居の下に立って声をかけると、前方の鳥居の前に十三歳くらいの童子が現れた。和尚に向かって、
「越前からのお使者ですね」
と言うので、驚きながらも、
「さよう。そのとおり」
と応え、懐中の包みを出して童子に渡した。
 童子はそれを持って引き下がり、また出てきて、先の包みの袱紗に別の何かを固く包んだのを和尚に渡した。
 旅宿へ帰った和尚は、その夜、なんとなく昼間のことを思いめぐらし、「包みを決して開くな」との言葉を忘れたわけではなかったが、無性に中を見たくなった。
 取り出して袱紗を開いたら、栢(かしわ)の葉で厳重に包んだものだった。十枚ほど重なったのを一枚一枚ほぐすと、さらに、いちだんと固く包んであった。
 ここに至ってまた「決して開くな」を思い出し、元どおりに包み直そうとしたが、『ここまで開いたものを…』と心残りの気持ちがまさって、引き続き葉を取り除けていった。
 また七八枚ほどほぐすと、ついに一寸四方くらいの鏡が出てきた。
 和尚が鏡をつくづく見るに、鏡の中に写るのは自分の顔ではなく、ほかのものが細々と写っている。よく見れば、越前のわが寺の門前が、絵に描いたようにありありと浮かんでいた。人の行き来する寺内の様子も写っている。みな見知った人だ。
 不審のあまり、いつまでも鏡を見ていたら、やがて京都の本山の寺の景色が手に取るように写った。それで、『さては、心に思うところが写るのではあるまいか』と気づいた。
 試しに遠方のどこかを思って、鏡を見ればその場所が写り、鏡を耳に当てればその場所の音が聞こえた。
 『世にも珍しいものだ。神術の鏡だ』と、和尚はしばし茫然としていた。と、どうしたことか、ふと手が滑って、鏡を畳に落としてしまった。
 鏡はもろくも二つに割れた。慌てて拾い上げたが、元には戻らない。さっきまで鏡であったものが炭鉄のかけらみたいになり、景色はまったく写らなかった。
 しかたなく、破鏡を初めのように栢の葉で包み直し、翌朝また深井村の稲荷へ行って案内を請うた。しかし、ただ松風の音がするばかりで、出てくる者はなかった。

 よんどころなく帰郷すると、寺の竹縁の下に、かの男がしょんぼりと身をすくめていた。
 和尚に向かって涙を流して言うことには、
「まことに是非もない次第。これは和尚の過ちではない。ひたすら私に運がなかったからだ。足を痛めて自力で行くことができず、和尚の心根を見損なって頼みごとをした結果の禍(わざわい)だ。あの位は、千年の効を経てやっと受けることができる。なのに、年期が至ってこの禍に遭うとは、身に降りかかった神罰を思わずにいられない。ああ、これからまた千年を経なければ、位は得られないのだ。もはや私は、今日明日の命だというのに……」と。
 和尚はただただ途方にくれて、ひとことも言えなかった。男は頭を垂れて竹縁の下を去ると、ふっと姿を消した。
 翌朝、庫裏の傍らで狐が死んでいると、人々が騒いだ。和尚が見ると、なるほど年経た狐で、普通の狐とは姿かたちが少し異なっていた。
 例の破鏡を確かめようと思って、また包みをあけたところ、どうしたわけか、葉の内には何もなかった。
 それからまもなく、和尚は物狂おしくなって、寺を迷い出て行方をくらました。
 元正寺も、狐の祟りがあったのか、やがて跡形もなくなってしまった。
あやしい古典文学 No.1108