『因幡怪談集』「高住善源寺、椿相と言僧死霊の事」より

善源寺の光物

 因幡国高草郡高住村の善源寺は、鳥取城下の龍峯寺の末寺である。
 享保五年、城下の大半が被災した大火により龍峯寺も類焼し、得翁和尚は善源寺に仮住まいすることになった。

 善源寺には、椿相という納所坊主がいた。
 この僧はどういうわけか金持ちで、米や銀を、高住村内のみならず近くの湖山村の者にまで貸し、利息を稼いだ。魚を獲る道具をことごとく質に取り、貸した米や銀が返済できなければ質物を我が物として、その道具で自ら漁をした。
 椿相の振る舞いに村里の者は迷惑し、
「僧にあるまじきことだ」
と小声で悪口する者も多かった。
 強欲の報いか、やがて椿相は、たちの悪い病気にかかり、そこから眼病になって失明した。さまざまな療治も効果なく、ただ嘆き暮らすことになった。

 あるとき、異国の者が寺へ立ち寄って休憩したが、たまたま椿相の眼病を見て、
「お気の毒だ。わたしは珍しい眼病の妙薬を持っているから、差し上げよう。これを鳶の生血で溶いて目に差せば、平癒するでしょう」
と、黒焼の薬をくれた。
 椿相はさっそく用いようとしたけれども、鳶の生血が手に入らない。そこで、日ごろ親しくしている同村の今井氏に、ひそかに頼み込んだ。今井氏は、たやすいことだと引き受けて、鉄砲で鳶を撃って持ってきた。
 大いに喜んで、かの薬を生き血で溶き、目に入れると、なるほど少し良くなったような気がする。うれしくて、鍬と、鍬焼きにする鶏を礼として贈った。
今井氏はそれを見て、
「これはまた、僧に似合わない贈り物を…」
と一笑した。

 その後、またまた悪い病気が再発して苦しんだ。
 椿相の僧坊は善源寺門前の長屋にあったが、病気が重くなって、ついにそこで死んだ。
 得翁和尚はこれを憐れんで、十四五歳の小僧に命じて、死人の床の脇で通夜させた。
 すると夜半過ぎ、死人がむっくと起き上がり、目を開いて小僧に抱きついた。小僧は肝を潰し、わっ!と叫んで気絶した。
 その音に、別部屋で寝ていた下男が火をともして行ってみたら、椿相の死体が辺りを撫で探っていた。それから、巾着に入れた小箪笥の鍵を取り出して口に入れ、カリカリと噛んで、そのまま倒れ伏して動かなくなった。
 下男はたいそう驚き、寺へ駆け込んで、和尚に震えながら話した。
 和尚が長屋へ行くと、椿相の死体は床を離れて倒れ、小僧は気絶していた。取りあえず水を注ぎ薬などを与えて呼びかけると、小僧は人心地ついたので、
「もはや怪しいことは起こるまい。もうすぐ夜も明ける。今少し、通夜を続けよ」
 和尚はそう言って、小僧と下男の二人を残して寺へ帰った。じっさい、そのあとは何事もなかった。

 翌日の暮れ、村外れで火葬にした。骨は取り集めて、産女谷という山中に埋めた。
 それからというもの、日が暮れ、夜が更けると、産女谷から光物が出て、湖の上を飛び、善源寺の辺りへ行くように見えた。
 村の衆は、それぞれ自分の目撃談を語っては不思議がっていたが、ちょうど夏の時分、近辺の里の者が涼みがてら集まったおり、
「あれは椿相の霊魂にちがいない」
と評議一決するに至った。
 かつて鳶を撃った今井氏も、兄弟ともども、光物をたびたび見たと話したそうである。

 あるとき猟師某が、夜半時分、セイゴ網漁に舟を出したところ、かの光物に出逢った。
 光物は船の舳先に行き当たり、しばらくそのまま動かなかったので、やむをえずとくと観察するに、大きさは菅笠くらい、光の中心部は茶碗ほどの大きさで赤い。また、光の中に黒く、猿のようなものが見えた。
 やがてまた光物は浮遊し、善源寺のほうへ向かった。寺の石垣下まで至ったが、石垣の上へ上がろとしてかなわず、水際をあちらへ、またこちらへと迷い歩くように見えた。
「まったく不思議な化物だった」
と、帰ってから漁師は語った。

 雨天には、日暮れ前から出るともいわれた。
 今井氏は得翁和尚とも昵懇だったので、
「不憫なことではありませんか。少し法事などして、あとを弔ってやってはどうですか」
と進言したところ、和尚は、
「こうしたことは、仏法の方でも時々あるのですが、ほうっておけばいいのです。なるほど椿相は、銀子を少々蓄えておりましたが、それで法事などするには及びません。銀子はすべて、寺のものとして取り返しました」
と返答したので、今井氏もそれ以上言いようがなかった。
 村の噂では、
「最初の頃は、光物が毎夜寺へ入ってきて、戸障子などにぶつかって騒々しいので、大般若経の札を書いてあちこちに貼ったそうな」と。
 それからは寺の内へ入れず、湖水・石垣までで、上へ上がることもなくなったという。
 また、椿相の死体が鍵を噛み砕いたことについては、
「箪笥に銀銭五貫目ばかり貯めてあったのを和尚に取られ、『残念』と思う執心だろうよ。和尚もあの銀で少しの法事をしてやれば、ここまで霊が狂うこともなかろうに」と。

 三年後、得翁和尚も世を去った。それもまた不思議なことであった。
あやしい古典文学 No.1110