森春樹『蓬生談』巻之三「狐人にかかりて火を扱はしむる事」より

火を包む少女

 中国明代の書、謝筆の『塵餘』には、理由もなく布団が動揺し、四隅を人がいっせいに引っ張り上げたように一メートルばかり浮いて、宙を行ったという記事がある。また、失火した室内に小児が寝ていたが、その間際まで焼けて小児は無傷だったとか、米を入れた袋は焼けたのに中の米は全く焦げていなかったという奇事も書かれている。
 思うに、それらはすべて狐のしわざにちがいない。

 筆者の友人である豊後大分郡乙津村の後藤氏の家では、こんなことがあった。
 夏の日の暮れ方、竿に干した洗濯物が勝手に竿を脱けて空に舞い、屋根を越えて近辺の畑中まで行った。それをきっかけにさまざまな怪事があったが、やがて家で召し使っていた少女が原因だと知れて、少女を家に帰したところ、何も起こらなくなったという。

 速見郡日出(ひじ)城下の頭成(かしらなり)屋は、同地の豪家である。
 ゆえあって頭成屋の養子を、わが森家が近くの鶴河内村の井上氏から仲人した。養子は頭成代々の名を継いで傳左衛門と名乗っており、筆者より三つばかり年長で、随分親しい。
 その家に一時期、たびたび不審火があったと聞いたので、傳左衛門が実家へ里帰りした時に逢って訊ねた。
 傳左衛門の話によれば、火の出るところは定まらず、庭の隅の綿籠の中とか、箪笥の引出しの中、楼上の押入れに収めた箱の中、店の売り物の中など、さまざまだった。さいわい、いつも早いうちに見つけたので、大事にはならずに済んだ。そのうち、誰言うとなく、下働きの少女が行った場所から火が出ると怪しむようになり、店の者みな少女に気を付けていたところ、ある朝、少女がかまどの前で、赤く燃えている炭火を火掻きに載せるのを見つけた。
 どうするのだろうと様子を窺っていると、店の裏手の土蔵のほうへ行くので、跡をつけていった。少女はそこで、懐中から紙を出して、炭火を一つずつ包んで袂に入れた。不思議なことに、紙は少しも焦げないのだった。
 そこまで見届けてから、走り出て少女を取り押さえ、紙包みの炭火を残らず袂から取り出し、家の中へ連れ帰った。炭火の包みを人々が手にとってみるに、さほど熱くはなく、少し温かい程度だった。試しに敷居の上に並べておいたら、一時間ばかりしてから紙が焦げ、燃え上がった。
 ともあれ、この少女が不審火を起こしたことは明白となったので、なにゆえ火をつけたかを責め問うたが、あやふやな受け答えで、ただ「面白いからやった」と言うばかりだった。
 少女は親元に帰され、その後は火が出ることはなくなったそうだ。

 この事件も乙津村の事件も、ともに少女に憑いた狐の妖であろう。筆者の地元でも、狐が火を用いて家を焼くことがたびたびある。
 しかし、火を持ち歩いて放火するのは分かるが、紙に包んだ火が熱くなく、一時間は紙も焦げないというのは、どんな術によるのだろうか。はなはだ奇怪なことである。
あやしい古典文学 No.1112