村純清『奇事談』「縄池之龍」より

縄池

 越中の城端(じょうはな)から二三里ほど山奥に入ったところに、縄池という池がある。周囲一里半ばかりで、深さは計り知れない。
 この池には龍が棲むらしく、池水に金気を投じると、必ず激しい風雨となって止まない。ゆえに昔から、穀物相場で稼ごうとする商人が忍んで来て、金物などを投げ入れて風水害を起こそうとすることがあった。
 近郷の農民はそれを禁じるため、池に行く道に番人を立て、みだりに近づけないようにした。人が寄らなくなった池の周囲には大木が繁茂して、いよいよ近づきがたい場所になった。

 宝暦六年のことである。
 五月雨のころから、連日大雨が降り、土用になってもなお止まなかった。暴風をともなう豪雨が農土をうがち、耕作はしたものの実りがあるとは思われない。農民たちの苦しみ・嘆きは言いようがないほどだ。
「これはきっと、縄池に鉄気を投げた者がいるのだ。その祟りにちがいない」
 一人が言いだしたことがきっかけで、近郷の大勢が池を見に行くと、案にたがわず、鉄丸に縄をつけて投げ込んであった。『やっぱりそうか』とただちに引き上げ、他の場所へ捨てたところ、だんだんと風雨が収まった。
 しかしながら、すでに数月を経た後である。もはや五穀が熟することはなく、災いを引き起こした者への恨みはつのった。
「当地の金持の才川屋十右衛門をはじめとする四五人が、この春に米穀を買い占めていたという話を聞いた。察するに、あの者どもの仕業にちがいない。仕返しせずにおくものか。思い知らせてやる」
 農民たちは徒党を組み、十右衛門ほか四五人の家を襲撃して、家財から土蔵までことどとく破壊した。
 ついに奉行所が乗り出す騒ぎとなり、詮議の上、騒動を起こした徒党の十人ばかりは、それぞれ居住の家の前で磔となった。

 その後のことであるが、不思議にも、池から引き上げた鉄丸を捨て置いた場所は、自然に池となった。いっぽう、元の池は次第に浅くなり、やがて水が干上がってしまった。
あやしい古典文学 No.1130