長沢理永『土陽隠見記談』より

嬰児出奔

 寛延三年の夏六月、土佐国豊永郷の粟生村で、百姓の妻が出産の時を迎えた。
 親族たちが来て産まれるのを待ったが、夜分になっても産気が緩やかなので、姑ひとりが付き添い、他の者は次の間で休んだ。
 うとうと眠っていると、急に、「あっ、産まれた」という声がした。みな起き上がって、産室に入った。
 ところが、産まれたはずの赤子がいない。姑の言うには、
「赤子は産まれると、いきなり立ち上がった。にっと笑って、そのまま外へ出てすたすた歩き、どこかへ行ってしまった」と。

 これは、その村の者が確かに聞き知って、語り伝えた話である。
あやしい古典文学 No.1134