大田南畝『一話一言』巻三「お七墓」より

お七の墓

 八百屋お七の墓は、小石川円乗寺にあるそうだ。
 石碑には「妙栄禅定尼」と彫られている。この碑は古いもので、先年火災のおり、半ばから折れたのを、そのまま上に載せてある。
 その傍らに、同様に銘を入れ、立像の阿弥陀を彫刻した碑がある。これは最近建てたものだ。この新しい碑の由来がなかなか分からなかったが、ある人が円乗寺の住職に聞いたことを教えてくれた。

 駒込の天沢山竜光寺は、京極佐渡守高矩の菩提所で、同家の足軽などがたびたび墓掃除に通う。
 何某という足軽が、ある夜、墓掃除に行く夢を見た。小石川馬場の辺りを通ると、頭は少女で首から下は鶏という奇妙なものが出て来て、足軽の裾をくわえて引っ張った。「何か用か」と尋ねると、少女の頭がこう言った。 
「恥ずかしながら、わたしは以前火刑に処せられた八百屋お七という者です。いまだこの通り成仏できずにおりますので、どうか跡を弔ってください」
 足軽は夢心地の中で肯ったものの、目覚めてみれば「変な夢を見たなあ」と思うだけだった。ところが、同じ夢が三夜続いたので、そのままにしておけない気になった。
 駒込の吉祥寺へ行ってお七の墓を尋ねると、「ここではない。小石川の円乗寺だ」と言われた。円乗寺へ行くと、
「いかにもお七の墓はあるが、火災の節に折れてしまった。無縁の墓ゆえ再興する者もなく,そのままになっている」
とのこと。
 そこで足軽は、新たな墓碑を建て、阿弥陀の立像を彫刻させ、お七の法名を入れて、古い墓石の傍らに添えた。また、法事料を収めて法事を頼んだという。
 いかなる由縁があって、この足軽のみがお七の夢を見たのか、法会を行うまでに親身になったかは分からない。
 その後、足軽が円乗寺に来ることはなかった。
あやしい古典文学 No.1139