堀麦水『続三州奇談』五ノ巻「濱鶴の怪女」より

白醜人

 本郷の北村何某という人は、若いころ、狩猟や漁を好んで、しょっちゅう山海で夜遊びしていた。それでも、これといって恐い思いをすることはなかったが、かえって賑やかな祭りの帰り道に、ただ一度、怪に遭遇した。

 寛政年間のあるときのことだ。
 北村は田鶴浜の秋祭に行って遅くまで遊び、真夜中ごろに独りで帰途についた。一里ばかり歩くと岡野の橋にさしかかった。
 その辺りは、少しの民家があるにもかかわらず、怪事の起こる場所として知られていた。しかし、ずいぶん酔っ払っていたせいか何の懸念もなく、いい気分の千鳥足でふらふらと歩いていった。
 祭り帰りの人々はだいぶ前に通り過ぎたらしく、前後に人影は一つとしてなかった。ところが、橋の半ばで行く手を見れば、橋詰の欄干の上に、真っ直ぐに立つ女が一人。
 女は、頭に何もかぶらず、髪を引き上げて束ねていた。着物の様子は判然としないながら、紺の木綿の前垂を着けているのはよく分かった。大きく裂けた口に黒い歯をのぞかせて笑いながら、目をきょろきょろさせた。四角くて不気味に白い顔で、はなはだ醜い。
 間違いなく一本足で立つように見えた。前垂が短いので、一尺ばかりも足首があらわになっている。それがどう見ても一本しかない。北村は、『さては、話に聞く岡野辺りの妖怪だな』と気づいた。
 『逃げても仕方ない。ならば先手を取ろう』。ただちに抜けるよう小脇差に気を配り、力をこめて一歩一歩、静かに橋の上を進もうとしたが、幾度となく心が虚ろになり、足の踏むところが橋なのか雲なのか分からない。仙人と月へ昇る心地とはこのことかと思うほど、意識朦朧としてきた。
 『これは危ない』と欄干を片手でとらえて立ち止まり、あらためて心を落ち着けた。そこから鋭く足を運んで怪女に近づいたところ、妖怪は何か物を言うようだ。聞き取ろうと耳をすました時、幸いにも道の向こうの坂の上から、松明を灯した村人が二三人連れでやって来た。
 妖怪も村人に気を取られたのか、あるいは立ち去る潮時だったのかもしれないが、ふと飛び立つように見えて、たちまち姿がかき消えた。
 しばらく待つうち松明の火が近づき、見れば日ごろ見知った人たちである。喜んで近寄り、今しがたの出来事を語ると、村人は、
「そいつは、いつもの妖怪にちがいない。この先の道も心もとないことでしょう。今宵はこちらに泊まって、明朝にお帰りなさい」
と言って、村へ伴ってくれた。
 その夜、村人は、こんなことを語った。
「去年の今頃でした。高畠宿の馬子で九助という者が、あそこで妖女に逢って、そのあと久しく患いました。きっと同じ妖怪だと思います。
 九助は田鶴浜で荷を下ろして酒を呑み、酔って寝込んで、夜更けてから馬に乗って帰る途中でした。橋の手前から見ますと、向かいに見える四五軒の家の端っこの軒先に、妖女の姿がありました。紺の前垂は、たしかに見えたそうです。九助は酔っていましたから、まことの女と思って、なにかからかってやろうと、馬に横乗りして橋を渡って駆け寄せると、妖女は屋根の上からふわりと飛んで来て、やにわに九助の首を押さえつけ、腰を掴んで逆さまに引っ提げました。その怪力といい顔の猛々しさといい、巴(ともえ)御前や板額(はんがく)御前が馬上で敵の首を掻き切るさまのようです。
 ここにいたって九助は、声を限りに『人殺し! 誰か助けて!』と叫びましたが、息が詰まって大声が出なかったのか、なかなか人が聞きつけてくれません。それでも頻りに叫ぶうちに、近所の者が走り出ました。すると妖女は、九助をそこらの草叢に投げ捨てて、消え失せたのです。
 人々に介抱され、九助は家へ帰ることができましたが、それから三十日ばかりも腰が立たず、寝込んでいたと聞きます。こんなことが折々あって、おおかた青鷺か鸛(こうのとり)などが妖をなすのだろうと、いつも話しております。あなたさまは運よく人が来て、無事で済んでよろしゅうございました」
 北村は一晩泊まって翌朝帰ったが、まったく全身から冷や汗が吹き出る体験をしたのだった。

 この妖怪を考察するに、世に言い伝える「見越入道」とは違い、人を捕らえて引っ提げたりする、逞しい白面の怪女である。また飛行する者であるから、田鶴浜の名にことよせて、蒼鶴などの類かもと思ってみたが、嘴に相当する長いものがない。鳥ではないが飛行するというなら、風狸などの類であろうか。
 また、聞けば岡野の橋の下を流れる川の水源は、「白醜人(しらしゅうと)の池」という。山に隠れて奥山まで何十里と続き、底も知れない池だ。そこに悪蛇がいて、折々に怪をなす。また、人が岸辺に立って池を眺めると凄まじい風が起こって、大概の者は逃げ帰る。もっとも、雨乞いをすると必ず験がある。鉄屑を投げ込めば、日を経ずして暴風暴雨が起こるという。
 その池の水が村々を廻って流れ来るのだから、蛇の妖かもしれない。しかし、身軽に飛んで消え失せるさまは、龍や蛇にふさわしくない。それより、池の名が心になんとも怪しく聞こえる。「白醜人」とはいったい何なのか。かの怪女こそ、「白醜人」というものではあるまいか。
 越前には「白鬼女」という川があるそうだ。天地は広い。人間の目が届かず、その名はあっても、確かに見定めていないものも多いだろう。このあたりにも「熊木のしらむす」「鳥の路のよろうど」「所口のよとり」「荒越山の風のさむろう」などがある。また世によく言う「北国の火車」「鎌鼬」なども、形を見定めぬ怪しいものである。
あやしい古典文学 No.1141