森春樹『蓬生談』巻之三「豊前下毛郡山国谷 宮園村の庄屋次郎右衛門河伯を捕し事」より

河童を熟視

 昔より、河童の形態を確かに見た人はいない。遠目に見たとか、ちらりと見たとかいう話ばかりだ。しかし、豊前下毛郡山国谷の宮園村の庄屋で次左衛門という人は、しっかりと熟視したのだった。

 梅雨が明けたとはいえ、まだ些か谷川の水量が多い六月の上旬、次左衛門は、対岸にある支配下の民家へ行こうと、瀬を歩いて渡った。そのとき、少し川上の水中の石の上に何か黒いものがいるのが見えたが、構わず川を渡りきった。
 用を済ませて川を渡って帰るとき、膝のへんまで水に入ったところで、黒いものが宙を跳ぶように素早く来て、帯のあたりに取りつこうとした。とっさに撥ねのけたが、また目にもとまらぬ早さで取りついてきた。
 捕らえて遠くへ投げやっても、飛鳥のごとく宙返りして戻ってくるので、しっかり捕らえて股に挟み、身動きできなくして、月の光でそいつをじっくり観察した。
 顔は猿に近いが、猿より丸顔だ。眼は大きくて丸く、よく光る。髪の毛が垂れて額を覆っている。背中は毛深く、腹の毛はまばらだ。体は非常に痩せていて、肩を掴むと前後の皮がくっつくほど肉がなかった。その肩は、一本の肩骨が左右に突き出て形を成しているらしく、いわば手拭かけに手拭をかけたような形だった。
 そこまで見届けてから、次左衛門は、
「わしに何の遺恨があっての狼藉か。おまえとわしと、恨み合う筋合いなどひとつもない。にもかかわらず今宵の所業は何事だ。けしからんやつだが、このたびは赦してやる。今後は、わしは言うに及ばず、わしの家内の者も、さらに村じゅうの者にいたるまで、少しでも害をなしたら、ただちに痛めつけてやるから、そう思え」
と、よくよく言い聞かせて、川下のほうへほうり投げると、二声、三声鳴いて水中に沈んだ。
 その後、二十日ほど過ぎたある朝、次左衛門は炉辺に座っていて、背後から忍び寄った何ものかに、両耳を掌で強くはたかれたような気がした。と同時に、両耳とも一切聞こえなくなった。
 家の者は、心疾を発したのかと思って医者を呼んだ。が、医者は診断をつけられなかった。
 次左衛門は、湯茶も飯も喉を通らなくなった。また、欲しいとも思わず、ときおり水を飲むばかりだった。
 それからまた二十日ほど過ぎたある日、家の前の街道を眺めていたら、中津の者が日田のほうへ送る胡瓜を背負って通りかかった。ふと食べたい気がして、呼び入れて買って食ったところ、随分気持ちよく食べることができた。
 それから少しずつ耳が聞こえ、いろいろな食物も口にするようになって、さらに二十日ばかり過ぎて平生に復した。

 世間で、河童の体は鱗のない魚のようで、滑らかで捕らえがたいというのは、こじつけの説である。
 筆者が召し使う下僕も、白昼に二十メートルばかり離れた岩場にいる河童の後ろ姿を見たが、背中はびっしり毛が生えていたそうだ。その毛が、水中ではなはだ滑らかに見えるのである。
あやしい古典文学 No.1148