伴蒿蹊『閑田次筆』巻之四より

行方なき女

 ある門人が来て、筆者に語った話である。

 京都烏丸四条に、近江屋吉某という職人がいた。
 吉某の妹は、同じ職人である綾小路の藤某へ嫁した。心の行き届いた女で、姑にも可愛がられた。しかし、美人の愛人ができた藤某は、なにかと難癖をつけて離縁してしまった。
 女は深く恨んだ。しかしそれを表には出さず、出戻った親の家にひっそりと住んだ。
 藤某のほうは、思いのままに愛人を迎え入れて、愉快に暮らした。

 あるとき吉某の妹は、ふと知人の家を訪れて、さしてきた日傘、頭の簪などを預けて、
「母の隠居所へ送ってください。わたしは今から、用件を果たしに行きます」
と告げた。
 知人は訝しんだ。
「衣服もあらためず用事に行くとは、どういうわけか。それに、この暑いのに日傘を手放すのは、どうしてなのか」
 しかし、
「とにかく、これらを母のところへ」
と言葉少なに言って出ていったので、やむをえず、人に持たせて隠居所へ行かせ、事情も説明させた。
 母親方でも不安に思って、方々へ人をやって探させたが、行方は杳として知れない。
 そのうち日数が重なったので、役所へ届けて「失せ人」の触れが出されたけれども見つからず、死骸さえも現れなかった。
 同じころ、藤某の家では、後妻が奇病を発した。
 腹の内に物言うものがあった。「応声虫」のようでもあるが、声に応じるのではなく、腹のほうから何かしきりに言ってくる。返事をしないと胸が締めつけられて苦しいので、他人と話しているときでも、その話を差し置いて腹の内へ答えねばならなかった。

 それから三年、吉某方では、妹は死んだものとして仏事を行った。
 そこへ思いがけず、藤某が商用と称してやって来て、
「うちの後妻の病気も、ちょうど三年になるよ」
などと語った。
 藤某は、いくぶん正気を失っているらしかった。そうでなければ、離縁した妻の実家へ、しかもその法事のさなかに、たいした用事でもないのに来られるものではない。
「吉某よ。うちへ来て、商いの品を見てくれないか」
と言うので、吉某は不快に思ったが、一両日して藤某方へ出向いた。なるほど、後妻は病気に悩まされている様子だったという。

 その後も藤某の後妻の療治は、医薬・祈祷と手を尽くしながら、効果がなかった。
 近隣に奇特があることで評判の神道者がいると聞いて、これに頼み入り、病人を行かせて七日間の祈祷を受けさせたときは、香炉に何か香をたき、その煙を見るや、あっ!と叫んで病人が倒れた。煙を手で覆うと、元どおりに起き上がって口走った。
「このように責められるのは苦しいが、けっしてこの女の体を去らないぞ」
 こうして結局、祈祷の効果はなかったので、神道者もさじを投げた。
 まもなく後妻は死んだ。死体は全身が紫色に化して腐っていた。
 藤某の狂気はいよいよ本物になったので、仕方なく檻をこしらえて監禁した。家もたいそう困窮したが、藤某はいまだ死にもせず、そのあさましさは言いようがないほどだそうだ。
あやしい古典文学 No.1150