堀麦水『続三州奇談』八ノ巻「妙齢の河伯」より

深淵の鈴の音

 越中は大河が多いところだ。俗間にいわれるところでは、それら大河の深淵から、おりおり鈴の音が聞こえてくるそうだ。
 小児が踊るとき、袂に入れた鈴が鳴るのに似たことが多いというが、なにしろ深淵の底のことだから、誰にも確かなことは分からなかった。

 ところが、安永四年八月のこと。
 滑川の南有金村のかたわらに、今井川という、這槻川の支流がある。高月村の専福寺の住職は、弓庄柿沢の円光寺住職の次男で、用事があって柿沢から専福寺へ帰るとき、この今井川の川端まで来た。
 時刻は、朝の七時くらいだった。向こう岸を見やると、一人の少女がいて、専福寺住職と顔を見合わせた。その顔色の白いこと雪のごとく、輝くように美しい面立ちは雛人形のようだ。身長は二尺あまり、髪飾りは娘らしく簪をさし、ゆっくりと歩む様子だった。
 衣服は見事な彩で、人間界の織物とは思われない。着物の裾丈が短く、腰の周りを覆うばかりで、白い膝があらわになっていた。手元袖口あたりの肌に網目模様があるようだったが、手もたいそう白かった。ぜんたい人間に異なることなく、ただ随分背丈が小さいのだった。
 少女は、何度も住職と顔を見合わせた。にこにこ笑っているように見えた。住職は全身に冷や汗が吹き出て、戦慄が止まらなくなった。
 しばらくして、商人の二三人連れが岸辺の道を来かかると、少女はその気配を嫌ったか、水際に歩んで、楊柳の間から川に入った。音もなく姿は失せて、再び現れなかった。
 住職はその場で身動きできなかったが、やがて迎えが来たので、一緒に川を渡って寺に帰り着いた。寺の下男はその顔色が尋常でないのに驚き、いろいろ薬を調えて介抱した。住職は数日養生して、本復した。

 妖しい少女は何者なのか、櫟原の神主に尋ねてみたところ、
「それは河童にちがいない」
とのことだった。ほかにもいろいろ聞き合わせるに、いよいよ河童だと確信された。
 思うに、河伯・水霊の仲間にして、はなはだ幼いものだったのだろう。幼子ならば、人の子と同じく踊り遊んでもおかしくはない。淵底から鈴の音が聞こえてくるというのも、これら幼い河童が遊び戯れ、歌い踊るおりの音ではあるまいか。
あやしい古典文学 No.1153