長沢理永『土陽隠見記談』より

小河平兵衛

 小河平兵衛は、もと小早川秀秋の家臣として武功のあった者で、秀秋滅亡後は、知人を頼って加賀に住んだ。
 しかし、つてを求めて再び立身したいとの望みが強く、まもなく加賀を出た。その際、家にある諸道具や自分の手柄で貰った感状などを妻に預け、
「どこであれ仕官がかなったならば、きっと迎えをよこす」
と約束した。

 平兵衛は西国へ下り、土佐の家老の深尾主水に多少面識があったので、主水方を訪れた。
 主水は客人を懇切にもてなし、
「貴殿は、人の下風に甘んずるべき武士ではない。しばらく我慢して我がもとに居られよ。よい折を見て推挙し、知行を得られるようはからおう」
と言って、身近に置いた。
 やがて大阪城石垣普請の役目があって、主水も土佐藩の役人として大阪へ赴いた。平兵衛も主水に従って行き、同地に宿をとった。そのとき「小河平兵衛」の宿札を見た幕府旗本衆の一人がかつての知己で、平兵衛の今の様子をそれとなく尋ね聞いた。
 後にその旗本は、江戸において土佐藩主山内忠義公へ、
「小河平兵衛という侍が今、御家臣深尾主水方にあると聞きます。平兵衛は武功の士で、そのままに差し置くべき者ではありません。お取り立てになってはいかがと存じます」
と進言した。
 忠義公は、
「いや、それは知らなかった。国許にて詮議致すとしよう」
と返答し、ほどなく平兵衛は高禄で召し出されて、郡奉行を務めるまでになった。
 当時、郡奉行は土佐七郡に一人ずつ、全部で七人。その郡に居住し、郡内のことは直接藩主の決裁を仰ぎながら治めていた。
 平兵衛は、高岡郡の奉行として同地に居住した。また、加賀で妻と約束したことを反古にして新たに妻を迎え、平三郎という男子も出生した。
 加賀の妻は、これらのことを風の便りに聞いて大いに怨み、預かった家財や感状をことごとく焼き捨てて自殺した。

 年月が経って、平三郎は十九歳になった。
 ある夜、まだ眠りに就く前の八時ごろ、部屋に独りいたとき、庭の枝折戸を外から開けて入ってくる者があった。見れば母親付きの下女で、燗鍋と盃、皿に盛った酒肴を手にしている。
「奥方様が『今宵は寂しくしておろうから、酒を勧めて参れ』と仰せになったので、参りました」
と言うので、平三郎は喜んだ。
「我はふだん酒を呑まない。しかし、母上の志の酒ならば、一盃呑むとしよう」
 押しいただいて呑み干すと、下女が、
「もう一盃」
と勧める。
「うむ、まことに母の慈愛なれば、断るべきでない。飲むとしよう」
 これも呑み干すと、下女はまた、
「では、もう一盃」
と勧める。
「下戸であることは、おまえも承知のはず。母上の慈しみの気持ちが忝くて、二盃呑んだ。このうえ呑ませることはなかろう」
 しかし下女は聞き入れない。
「そう言わず、もう一盃」
 平三郎が仕方なくまた飲み干すと、下女はさらに、
「さあさあ、もう一盃」
 平三郎は、さすがにむっとして、
「わからんやつだな。もう呑まぬ」
と拒んだが、下女はいよいよ強引に盃を突きつけてくるので、ついに怒って、
「無礼者め」
と叱りつけた。
 その途端、下女の顔貌が一変し、肘を張って居直ると、
「如何ようにもなさるがよい」
と言いつつ詰め寄ってきた。その勢いの凄まじさに平三郎はこらえかね、抜き打ちに斬った。
 斬られて外へ逃げ出るのを追っていくと、外からまた屋敷の奥へ駆け入った。奥の次の間には、平三郎の母が起きていた。
「下女に不届きがあったで斬りました。ここに逃げ込んだはずです。お出しください」
と言うと、母は表情をあらため、
「おまえは夢を見たのではないか。その者なら宵の口からずっと、わたしの傍で縫物をしていた。とにかく心を静めなさい」
とたしなめた。
 平三郎は驚いて、自分の部屋で起こったことのすべてを語った。すると母は、奥にいる平兵衛に言葉をかけ、 
「お聞きになりましたか」
と尋ねた。
 平兵衛はものに動ぜぬ豪傑なので、
「若輩者が、狸にでも化かされたのだろう」
と言って、奥から出ても来なかった。
 平三郎はきまりが悪くなって退出したが、化かされたなどとは到底思えない。若党たちを呼んでいきさつを話して、屋敷内を調べて回った。しかし、なんら怪しいところもない。
 部屋へ帰ってみると、燗鍋も皿もない。そもそも自分に酒に酔ったような心地がまるでない。ただ、刀を見ると、川の藻のようなどろどろしたものが、少しばかり付着していた。

 そのうち俄かに大雨が降りだしたので、みな部屋へ戻って眠りに就いた。
 雨は夜通しおびただしく降った。仁淀川が洪水になり、堤防が決壊しそうだと百姓どもが知らせてきた。
 平兵衛は朝早く、家来とともに舟に乗って川筋へ出ると、人夫を集め、堤防の危ない個所を補強させた。
 血気盛りの平三郎も別の舟に乗り込み、鉢巻きに裾からげの出で立ちで、あれこれ作業の指図をしていた。と、その舟の横のほうに、水中から女が一人浮かび出た。平三郎は、父に向かって叫んだ。
「あれは昨夜の女ですぞ」
 女はそのまま水中に没した。みな驚き、『また出てくるかもしれん』と見ていると、思いがけず舟の舳先に浮かび出て、一瞬のうちに舟を覆した。
 この危急を見て、水練の達者な人夫たちは、平三郎を助けようと川に飛び込み、水底を捜し回った。その結果、覆った舟に乗っていた者は次々に助け上げられたが、平三郎だけは見つからなかった。

 平兵衛は、今の妻に語った。
「加賀に置いてきた妻は、怨みを含んで自害したと聞く。水中から浮かび出た女は、加賀の妻の顔かたちに少しも違わなかった。あの者は我を怨みながらも、我を恐れて手出しできず、代わりに若く未熟な平三郎の命を取ったものと思われる」
 平兵衛は、心が鬱して晴れることなく、ついに土佐にいたたまれなくなって、他国へ立ち退いた。その後の行方は知れない。
あやしい古典文学 No.1156