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菅江真澄『筆のまにまに』より |
座頭神 |
羽州秋田郡南比内荘十二所ノ郷に、座頭ノ神という社がある。また、座頭桜という樹があった。由来はこうだ。 昔、花都(はないち)という旅の琵琶法師が、その地にやって来た。 来て三四日たったころ、若侍が集まって、 「法師は、餅と酒と、どちらが好きかね」 などと話しかけるので、花都は応えて言った。 「私は、餅が好きでございます。餅ならば、食べ飽きるということがありません」 「どれくらい餅を食うのだ」 「はい、一斗搗きの餅なら、残りなく食べてみせます。それ以上は、一合たりとも食べられません」 「一斗もの餅を、食えるというのか」 「もし食べられなければ、私の首を差し上げましょう。そのときは、スッパリやってください」 「本当だな。食えなければ首を切るぞ。……よし、ためしに食わせてやろう」 人々は、ある者の家に餅米を持ち寄り、量って一斗きっかりにしたが、その家の妻は、ちょっと意地悪をしてやろう思って、さらに一升の米を加えて炊き上げた。 やがて餅を搗く音がしてくると、花都は、 「搗き上がった餅を、ただそのまま持ってきてください。ほかには何もいりません」 と言う。そこで、平桶二つに山のように盛り上げて出した。 花都は、餅の肌に水をぴたぴたと付けては、飲み物を飲み下すように食った。ひたすら食いに食って、一升分ほどを残すばかりになったとき、その餅を手探りするように触れながら、ため息をついた。 「はて、どうしたことか、もはや露ほども咽喉を通りそうにありません。食べ残してしまいました。かねてのお約束どおり、花都の首を切ってください」 人々が、 「いや、あれは戯れ言だ。盲人の首を取って、何の手柄になるものか」 と笑うと、花都は声を荒げた。 「土地柄か、国柄か知らないが、臆病侍とは、こんな人たちのことにちがいない。さだめし、まさかの時には逃げ隠れするのであろう。腰抜け武士じゃわ」 声高に罵られ、かっとなった一人の若侍が進み出て、 「おのれ、憎いやつ」 と言いざま、抜き打ちに斬った。 「あっ、早まるな」 と人々が止めに入ったときには遅かった。 花都の首は切り落とされてしまった。餅は胴側の切り口まで満ち満ちていて、そこからどっと溢れ出た。 一升を追加した女は、おのれの行為をたいそう悔いるとともに、祟りがあるのではないかと恐れた。 ほかの人々も花都を憐れんで、墓の上に桜を一本植え、「座頭桜」と名付けた。また「雨零(あめふり)桜」とも呼んだ。この花が咲くと、いつも雨が降ることから、そう言いならわしたのである。 座頭桜は美しく咲き、人々が賞でて花見に集まったが、やがて老木となって枯れた。桜がなくなると、人が墓の上を踏んで通るようになった。すると、墓の地主の菅生某に花都の亡霊が憑いて悩ました。 菅生某は、重い疫病に罹ったかのようで堪えがたく、祈祷を受け、神主を頼んで花都を祀る小社を建てた。それによって、ようやく癒えたのだった。 ところが、ある年の冬の初め、花都の社が雪に埋もれると、そこへ犬が来て糞を垂れた。 これを菅生家の嫡男が見て、 「犬に社を穢される神など、神ではない。祀る甲斐などあるものか」 と、祠を打ち壊した。 そんなことをしても、嫡男にはなんの障りもなかった。しかし、なぜか近隣の河井某に花都の霊が憑いて苦しめた。 河井家は、しかたなく花都の社を建てて祀った。 座頭桜は菅生家の土地で枯れて跡形なく、座頭神社は河井家の庭に今もなおあるとのことだ。 |
あやしい古典文学 No.1162 |
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