佐藤成裕『中陵漫録』巻之五「会津の老猿」より

猿王

 筆者がかつて奥州会津に住んでいたとき、黒沢というところへ行ったことがある。その辺りの山中には、極めて大きな猿がいて、二百匹あまりの猿を従えていた。
 猿どもはみな、大猿のもとに食物を運ぶ。また大猿の居る枝の下に在って、けっして上の枝に登ることはない。このことから、大猿が猿の王であることがわかる。
 大猿は、黒くて丸い大きな物を手に持ち、いつもそれを弄んでいた。ある猟人がこの山中へ来て、「あれはなんだろう?」と深く怪しみ、火縄銃で大猿を枝から撃ち落とした。
 すると一匹のすばしこい猿が、大猿の落とした物を拾い取って、離れた枝へ逃げていった。他の猿は撃ち落されたことに驚いて、大猿の傍へ集まり、弾丸の穴に木の葉を詰めて塞いだ。それでも血が噴き出すので、みな途方に暮れていた。
 猟人はまた弾丸を込めて、かの物を取った猿を撃ち殺した。その音に脅えて、二百匹の猿は枝から枝へひらひらと飛び移りながら、遠く逃げ去った。
 猿の持っていたのは、藤蔓で厳重に巻き包まれた物だった。苦労して切り破ってみると、火箸のように細い、曲がって朽ちた短刀が出てきた。
 大猿は、どこからこの短刀を手に入れたのか。いつから所持してきたのか。ともあれ、猿の王であることを示す宝物として、常に大切にしたと思われる。
 しかし、その宝物ゆえに人に怪しまれて、大猿は命を落とした。宝物が、こんなふうに身の災いとなるのは、よくあることだ。

 加賀でも、山中の猿が常に丸い一物を持ち歩いているのが見られた。
 ある人が、その猿を火縄銃で撃ち殺した。一物は木の葉で何重にも包まれていたが、それを破って見ると、中身は火縄銃の弾丸一個であった。
 獣類の中でも人に近い猿は、そんなものを何となく珍しいと思って手から離さず、宝物とするらしい。
あやしい古典文学 No.1170