平尾魯遷『谷の響』一之巻「うわばみを燔く」より

雪解けまで待ってくれ

 目谷の杉野沢ノ村に、源助という者がいた。
 文化年間の末ごろだったろうか。村の山中に蛇塚と呼ばれる場所があって、そこに古い杉の大木があったが、源助はこの杉を伐ろうと思った。
 役所に願い出て許可を得たので、伐る準備をしていると、ある夜の夢に、人の姿をしたものが出てきて、
「われは、この山中に住む山神である。おまえは今、蛇塚の杉を伐ろうとしているが、雪の消えるころまで待ってくれ。雪が消えて、われらが退去するときには、また知らせに来よう」
と告げた。
 源助は不敵な男で、夢を物の数にも思わなかった。『山神だなどと言っていたが、蛇塚の杉にいるなら、蛇に違いない。偽って神を名乗るとは憎いやつだ。よし、今すぐ杉を伐ってやる』。

 急いで木こりたちを雇い、伐採に向かわせた。たちまち幹の周囲を一尺ばかり切り込むと、中は空洞とみえて、まさかりの刃応えがなくなった。
 木こりたちは『これはすぐに倒れるだろう』と待ったが、よろよろするばかりで、いっこうに倒れない。不審に思って樹上を見上げたら、胴回り三尺あまりもあろうかという大蛇の、頭に髪を生やしたのが、枝に首を架けて見下ろしていた。
 皆あわてふためいて逃げ帰り、源助に知らせると、源助はあざ笑った。
「腰抜けどもめ。山で働く者が、それくらいの蛇を怖れてどうする。わしが行って、その蛇をぶち殺してくれよう」
 村の男二十四五人を引き連れて、杉のところへ出向いてみれば、すでに木は地面から五六尺のところで折れて倒れ、空洞は根から土中の穴に通じているようだった。
 その穴に大蛇がとぐろを巻いていたので、勇み立った男たちは周囲に柴を大量に積み重ね、火をかけた。火は盛んに燃え上がって、一時間ばかりの間に、さしもの大蛇も焼死した。
 なにしろ二月の中ごろで、雪いまだ解けやらず、余寒の厳しいときだったから、爬虫類の大蛇はまともに体を動かせず、あえなく焼き殺されたのである。焼け残りの骨を拾い集めたら、三斗あまりもあったという。

 その後、源助は祟りにあうこともなく、天寿を全うした。
 しかし、彼の娘は火傷をして五体を損ねた。息子は腰を患って寝たきりとなり、まもなく死んだ。人々は、この二人の有様を見て、かの大蛇の祟りだと言いあった。
あやしい古典文学 No.1173