堀麦水『続三州奇談』七ノ巻「多胡老狐」より

農夫の憂鬱

 越中の田子村に、與蔵という者があった。與蔵の家の裏山の穴には、老いた狐が久しく棲んでいた。
 あるとき近隣の若者どもが、その老狐を捕らえて、棒でめった打ちに叩きのめした。『可哀想に、あれでは死んでしまう』と、與蔵は見かねて走り寄り、棒を押さえて狐の命乞いをし、逃がしてやった。
 老孤は這う這う穴に入ったが、與蔵はなおも気がかりで、自分の喰う飯を分かちて穴へ投げ遣るなどした。
 憐れみの度が過ぎるように思った近所の人は、與蔵を諌めた。
「柔弱なふるまいをするのはよせ。狐は、必ず弱みに憑くという話だ。だとすると、乱暴した若者には憑かず、おまえに憑くぞ。しっかりしろ。もう何だか目つきが悪く、足が爪先立ちになりかけておるではないか」
 與蔵は涙を流し、
「その話は、おれも聞いて知っている。だが、狐の痛めつけられているのが、我がことのように不憫だったのだ。言われてみれば、なるほど野狐の所為か、気持ちがぼんやりして定まらない気がする。手つき・足つきの具合を、もっとよく見てくれ」
などと言って、はなはだ不安な様子だった。

 與蔵は友達にも相談して回ったが、見たところさして正気を失ったようでもない。
 翌日には、馬の糞を紙に包み、手に載せて眺めたけれど、いくら見てもただの馬の糞で、食おうなどという気は起こらない。
 それでも、周囲の人に脅されて心中穏やかでなく、仕事も手につかなかった。すっかり狐に憑かれる気になって、自ら錠を鎖した一部屋に籠もり、『このごろ津幡宿の人足六人が、早駕籠を担いで行った戻り道、狸の皮の鞴(ふいご)を背にかけた野鍛冶と出合い、化けものめ! と袋叩きにして大騒動になったと聞く。それほど気が荒かったら、狐も手出しできないだろうになあ…』などと思いつつ、朝から晩まで鬱々としていた。
 三日目の夜のこと。雨がしとしと降り、灯火も細々となった十時過ぎ、突然、白い光の射すように、老狐が部屋へ飛び込んできた。
 與蔵が動転して、
「誰か来てくれ。今、狐が憑くぞ」
と叫ぶのを、狐は制した。
「大声をあげなさるな。わしは、おまえさんがあんまり心配するから、憑いたりなどしないと教えに来たのだ。どうか、静かに聞いてもらいたい」

 狐は、夢ともなくうつつともなく語った。
「そもそもこの辺の狐は、人に憑くどころか、ちょっと化けることさえできない。わしの場合は、たいそう年を経ているから、ここへ来て、なんとか人語を話すことができるのだ。
 さて、おまえさんはわしの命を救ったせいで、えらく心配を抱え込み、仕事も捨てて引き籠もっておる。それではあんまり気の毒だ。狐の憑くことはないわけではないが、その多くは気病みのうちで、さもなければ、病気によって自分から憑かれようとする類だ。狐の側からすれば、人に憑いても損するばかりだから、すすんで人に憑こうと思うことは全然ない。人に憑けば、犬にも襲われる。犬は人のために働くのが天性だからだ。人に憑かなければ、たとえ犬に見つかって追われても、しばらく逃げるとそれ以上追われない。
 じつは、この辺の狐も、人家の食物を口にしている点では犬と同じで、そうするうちに自然と人間に仇をなす心が失せ、化け方も忘れてしまったようだ。昔は人の精を吸うことで、美女にも変じ、天皇家や摂関家といった高位へさえ近づいたと聞く。しかし今は、人の魂が浅薄になり、精を吸っても狐にとって得になるところがない。ややもすれば悪疾・悪瘡の精を吸い、苦しむことが甚だ多い。それゆえ我々は、化けることをはなっから忘れ、普通の獣と同様に生きるようになったとも言える。
 狐が祟ったり利益をもたらしたりするというが、それだって狐のみの力ではない。物事の因果が、狐に依って現れるのだ。ましてや、この辺の狐が、何を好き好んで人に憑き、祟ったりするものか。だから、余計な心配は捨てて、これまでどおり仕事に励んでくれよ」
 語り終えると、たちまち狐の影もなかった。

 與蔵は夢から醒めた心地になった。
 それからは不安に苛まれることなく、我が仕事をこなして、今までどおり暮らした。
あやしい古典文学 No.1176