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根岸鎮衛『耳袋』巻の二「いわれざる事なして禍いを招く事」より |
試し斬り |
享保のころの出来事と聞く。上野寛永寺内の小院に、そうとうな地位の僧がいた。 僧には最愛の美童があったが、だんだんと齢を重ねて、今は二十三四にもなったので、 「近々、相応の家へ養子に遣ることにしよう」 と決心し、あれこれの支度を、心を込めて調えてやった。大小の刀も立派に拵えた。 ある日、僧のところへ、当時のいわゆる任侠者で、旗本の小野寺何某がやって来た。そこで、 「かくかくしかじかのわけで、若い者に遣わそうと、大小を拵えました。その出来ばえがどうなのか、僧侶の私には分かりませんので、一度ご覧いただけませんか」 と頼んだ。 小野寺は刀を見て言った。 「これは、あっぱれな出来物だ。ずいぶん見事なものだが、しかし、実際に斬ってみなければ、確かなことは申せない。拙者にしばらく預けられよ。試してみたい」 僧はよほど愛着に心が迷っていたのだろう、試し斬りの話なのに、 「是非ぜひ、よろしく頼みます」 と頭を下げて、大小を渡してしまった。 吉原の堤のような場所では、享保の後までも、辻斬りなどが横行した。 小野寺も、そうしたことを慰みにしていたらしい。夜更け、預かった刀を帯びて吉原土手を徘徊し、往来の若者に喧嘩を仕掛けて、抜き打ちに斬りつけた。刀は思った通りの名作で、若者はすっぱり斬られて真っ二つになった。 小野寺は、心静かに刀を持ち帰り、血をぬぐい、洗いなどして、それから三日後に、寺へ持参した。 「この刀を試したところ、やはり大変な切れものであった。重々大切にされるよう、その人におっしゃるがよい」 と言うと、僧ははらはらと涙を流した。 「この刀を遣わすつもりだった若者ですが、三日前、吉原へ遊びに行ったのでしょうか、かの土手で切害されました。何者の仕業か知れません。衣類も懐中物もそのままで、物盗りのしたこととも思われぬのです」 その日取りを考え合わせれば、小野寺が斬った若者は、すなわち、僧が刀を遣わそうとした者にちがいなかった。 |
あやしい古典文学 No.1182 |
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